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鳩ぽっぽ

Pigeon_Songs  Pigeon_Songs  Pigeon_Songs

』 (文部省唱歌) <歌詞URL:12

1.ぽつぽつぽ 鳩ぽつぽ/豆がほしいか そらやるぞ/みんなで仲善く食べに來い
2.ぽつぽつぽ 鳩ぽつぽ/豆はうまいか 食べたなら/一度にそろつて飛んで行け

鳩ぽっぽ』 (作詞・東くめ/作曲・瀧廉太郎) <歌詞URL:12

鳩ぽっぽ 鳩ぽっぽ
ポッポポッポと 飛んで来い/お寺の屋根から 下りて来い
豆をやるから みな食べよ/食べても直(すぐ)に 帰らずに
ポッポポッポと 鳴いて遊べ

♪ぽっぽっぽ 鳩ぽっぽ/豆がほしいか そらやるぞ…♪
長い間、この平易な曲を「瀧廉太郎作曲」と思い込んでいた私。ところが、この文部省唱歌は全く別の作品で『』という曲名であり、廉太郎の『鳩ぽっぽ』のメロディーは初めて聴きました。

文部省唱歌『』は、1911年(明治44年)5月発行の国定音楽教科書『尋常小学唱歌・第一学年用』第2曲に置かれました。尋常小学校に入学したばかりの児童は、最初に第1曲『日の丸の旗』を教わり、すぐ次の教材として ♪ぽっぽっぽ 鳩ぽっぽ…♪ を覚えたことになります。
「第一学年用」の教材からは、第6曲『かたつむり』第9曲『桃太郎』第15曲『月』などが、100年を超えた現在でも広く歌われています。(d-score

20世紀最初の黄金コンビ「作詞・東くめ/作曲・瀧廉太郎」による『鳩ぽっぽ』は、文部省唱歌『』よりもはるかに早く、10年前の1901年(明治34年)7月に「幼稚園唱歌」第12曲として発表された作品です。全20曲からなる唱歌集の中には、あの有名な『お正月』が入っています。(『お正月過去記事

<「幼稚園唱歌」全20曲・曲名一覧>
1.ほーほけきょ/2.ひばりはうたひ/3.猫の子/4.鯉幟/5.海のうへ
6.桃太郎/7.白よこいこい/8.お池の蛙/9.夕立/10.かちかち山
11.水あそび/12.鳩ぽっぽ/13.菊/14.雁(がん)/15.軍ごっこ
16.雀/17.風車/18.雪やこんこん/19.お正月/20.さよなら

広く知られた旋律とは違う「同名異曲」もあるので、とくに間違えやすい3曲をここに列挙しておきます。
* 第6『桃太郎』(作詞・作曲/瀧廉太郎)…おなじみの旋律は「尋常小学唱歌」第一学年用・第9曲。
* 第12『鳩ぽっぽ』(作詞・東くめ/作曲・瀧廉太郎)…おなじみの旋律は「尋常小学唱歌」第一学年用・第2曲『』。本記事の題材。
* 第18『雪やこんこん』(作詞・東くめ/作曲・瀧廉太郎)…おなじみの旋律は「尋常小学唱歌」第二学年用・第17曲『』。

1887年(明治20年)12月に文部省音楽取調掛が出版した「幼稚園唱歌集」(全29曲)は、歌詞が文語体であるため、子供たちの日常的な言葉遣いとは大きく違っていました。その点を憂慮していた教育者の東基吉(1872年-1958年)が、結婚したばかりの妻・くめに「子供にも分かりやすい、楽しく歌える曲を作れないか」と相談を持ちかけました。くめは東京音楽学校の2年後輩である「作曲の巧い学生」瀧廉太郎を夫に紹介し、こうして唱歌集作りの計画が始まります。いちばん最初にできあがった曲は『鳩ぽっぽ』でした。
こうして刊行された「幼稚園唱歌」全20曲は、幼児向けの教材としては初めての、伴奏譜付きの唱歌集として高く評価されました。(斎藤基彦:明治の唱歌/池田小百合:なっとく童謡・唱歌

動画サイトでは『鳩ぽっぽ』の歌が皆無に近いため、記事冒頭の「歌詞URL」でmidi音が鳴るものを2つ入れておきました。(うたごえサークルおけら提供の「2」は伴奏つきで聴けます。)

』 (文部省唱歌/尋常小学唱歌・第一学年用)


鳩ぽっぽ』 (作詞・東くめ/作曲・瀧廉太郎

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ぶたが逃げた

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ぶたが逃げた』 (作詞・宮澤章二/作曲・小田啓義) <歌詞URL

<作者プロフィール>
作詞者:宮澤章二(みやざわ・しょうじ)…1919年6月11日-2005年3月11日。埼玉県羽生市弥勒出身の詩人・作詞家。『ジングルベル』の訳詞や、詩集「行為の意味-青春前期のきみたちに」などでも知られる。(羽生市立三田ヶ谷小学校記念館案内
作曲者:小田啓義(おだ・ひろよし)…1939年12月23日生まれ。バンド「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」のキーボード奏者。日本音楽著作権協会(JASRAC)会員などを務める。

♪ある晴れた昼下がり 市場へ続く道/荷馬車がゴトゴト 子牛を乗せて行く…♪
有名な『ドナドナ』(日本語詞・安井かずみ)の悲しい歌詞は、かわいい盛りの子牛が市場へ売られてゆく様子を歌ったものです。実はブタにも、こんな情景を描いた歌がありました。
ぶたが逃げた』の歌詞では、親ぶたが町へ売られてゆき、残された小さい子ぶたが後を追おうとして逃げるのですが、どうしても追いつけず、迷った道で泣き疲れて眠ります。

ぶたが逃げた』はNHK「みんなのうた」の初期、1968年10月-11月に放映された楽曲で、当時人気絶頂を極めていたグループサウンズ(GS)界の超大物バンド「ブルー・コメッツ」(ブルコメ)の初登場作として大きな話題を呼びました。歌を聴いた人たちには、悲しい情景が強烈な記憶を残したのですが、どういうわけか『ぶたが逃げた』のブルー・コメッツによるオリジナル録音は残されていないようです。バンドのキーボード奏者であった小田啓義さんが、この歌詞に曲をつけました。
音楽の世界でよく見られる「どうして??」人と人との不思議な繋がり-『ぶたが逃げた』の作者2人はどんな出会いがあったのでしょう。埼玉県大宮市(現・さいたま市)で学校教員を務めた「風と光の詩人宮澤章二氏と「ブルコメ」のメンバーが、こんな不思議な接点を持ったなんて。
きょうの記事は、悲しい詩を書いた宮澤章二氏の「没後10周年」の節目の日に、彼のライフワークであった詩集「行為の意味-青春前期のきみたちに」とも繋げてみたいと考えました。

大宮市で学校教員を務めながら、詩作活動に携わった宮澤章二氏は、その作風から「風と光の詩人」と呼ばれました。教育委員長の立場から、生徒たちを対象にして書き続けた詩を1冊の本にまとめた遺作出版が「行為の意味-青春前期のきみたちに」です(2010年7月・ごま書房新社刊)。
最も広く知られる詩「行為の意味」については、宮澤章二記念館(2013年1月開館)の公式ページからリンクすることにします。(全文
そう考えてみれば、1968年に作詞した『ぶたが逃げた』の終わり方も「風と光の詩人」らしさが出ているかもしれません。ひとりぼっちの哀れな子ぶたに、こんなふうに呼びかけて結びます。
♪あしたは 元気を 出すんだよ/ だれかが ひろって くれるだろ…♪

宮澤章二氏が2005年3月11日に亡くなってから、ちょうど6年後-まさしく6度目の命日、2011年3月11日に未曾有の東日本大震災が起きました。震災発生直後は、多くの企業がテレビコマーシャルの放映を自粛する中、公益社団法人「ACジャパン」のCM(2010年制作)で宮澤章二氏の詩「行為の意味」の抜粋が流れました。
没後10周年を迎えた今年、故郷の地のさいたま文学館で、企画展「風と光の詩人宮澤章二」が開催されることになりました。期間は1月10日-3月15日です(今週末で終了します)。

ぶたが逃げた』 (歌・熊倉一雄/世界文化社「ドレミファブック」のレコード録音)
ブルー・コメッツによる「みんなのうた」歌唱版の録音は残っていない]


(ACジャパンのTVCM:宮澤章二行為の意味」から引用している)

シャボン玉

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シャボン玉』 (作詞・野口雨情/作曲・中山晋平) <歌詞URL:123

シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ/屋根まで飛んで こはれて消えた
シャボン玉消えた 飛ばずに消えた/生まれてすぐに こはれて消えた
風 風 吹くな シャボン玉飛ばそ

日本の「童謡」文化を築き上げた不世出の大詩人・野口雨情が、太平洋戦争の終戦直前に62年の生涯を終えてから、ちょうど70年の歳月が過ぎました(1882年5月29日-1945年1月27日)。
今年は「戦後70年」の話題がたくさんありますが、日本の音楽界でも、詩人・野口雨情と作曲家・本居長世が同じ1945年に世を去っています。雨情の詩に音楽をつけた作曲家では、中山晋平本居長世のふたりが多くの傑作を残しました。
きょうの題材は『シャボン玉』(作曲・中山晋平)で、1922年(大正11年)11月に雑誌『金の塔』(発行・大日本仏教子ども会)に寄稿したものです。
(間違えやすい点:野口雨情が編集長を務めた雑誌『金の船』ではありません。)

シャボン玉で遊ぶのは、幼き日の私も好きでしたが「屋根まで飛ぶ」ところまではいかず、何度やっても形にならなくて「飛ばずに消える」感じでした。屋根まで飛んで行くほどのシャボン玉を作れる人は、きっと肺活量が大きいんだろうな。
野口雨情の時代にも、子供たちが普通にシャボン玉遊びをしていたので、当時のシャボン(石鹸)は一般的な家庭用品であったことが分かります(この点の詳細は後述)。
この詩の中で『シャボン玉』は何を意味するのだろう。2番の歌詞 ♪生まれてすぐに~♪ と詩人の家庭生活を重ね合わせて、これは「幼くして失った愛娘への鎮魂歌だ」という見解が広まりましたが、果たして本当にそうなのでしょうか。

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野口雨情の生涯:家庭生活と子供たちについて>
野口雨情は生涯に2度の結婚歴があり、総計12人の子供をもうけました。最初の妻・高塩ヒロ(結婚期間:1904年-15年)との間には3人の子供(1男2女)がいましたが、1908年3月に長女・みどりを生後8日で亡くしたことがあります。
1918年に再婚した中里つるとの間には、総計9人(2男7女)の子供が生まれました。この結婚では四女・恒子を早く亡くしましたが(1921年11月17日-1924年9月23日/2歳10か月)『シャボン玉』の詩の発表は1922年11月ですから、この子の死とは関係ありません。(野口雨情詳細年譜
雨情の家庭に限らず、当時の日本は「幼児死亡率」がまだ高い時代でした。親はどの子供にも変わらぬ愛情を注ぎ「ずっと長生きしてほしい」と願うものです。
いずれにしても、シャボン玉ははかなく消えやすいもの。雨情自身はこの詩について、何も述べていないので「~の見方もできる」聴き手はいろいろな情景を思い浮かべることができます。

シャボン(石鹸)の歴史:日本への伝来と普及について>
シャボン」(sabão)はポルトガル語の単語で、戦国時代後期、16世紀にポルトガル船との「南蛮貿易」を通して紹介されたそうです。昔の石鹸は貴重品でしたが、明治時代になってから、日本にも国産石鹸の工場が建ち始め、一般家庭でも石鹸を使えるようになりました。(ああ我が心の童謡
あの有名な商品名「ママレモン」のような、液状の家庭用食器洗剤が普及すると、水で薄めるだけでシャボン玉遊びの液も作れるようになり、さらに手軽になったでしょう。

野口雨情は1926年(大正15年)6月に出版した童謡集「螢の燈台」の序文で、童謡とは「童心から生発する言葉の音楽であり、自然詩である」と述べました。詩人が20年ほど住んでいた北多摩郡武蔵野村(現・東京都武蔵野市)吉祥寺の自宅には、彼自身が「童心居」と命名した書斎があり、その部屋で詩作活動に没頭していました。(「螢の燈台青空文庫
1943年2月から病床についた野口雨情は、彼がこよなく愛した「童心居」の書斎を離れ、戦火を避けて栃木県河内郡姿川村鶴田(現・宇都宮市鶴田町)に移りました。彼は太平洋戦争の終結を見ることができず、1945年(昭和20年)1月27日に疎開先の鶴田の家で亡くなりました。

田舎の冬

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田舎の冬』 (作詞・不詳/作曲・島崎赤太郎) <歌詞URL:12

1.ましろに おく霜 峰の雪/しずかに さめくる 村の朝
ほういほい ほういほい むら雀/かり田のかかしに ひの光
2.ひなたにつづるは 古ごろも/軒(のき)には垂氷(たるひ)の とくる音
ほういほい ほういほい 寒烏(かんがらす)/門辺(かどべ)の枝には 柿二つ
3.いろりに榾(ほだ)たく 夕けむり/枯野に風立ち 日のくるる
ほういほい ほういほい 渡り鳥/鎮守(ちんじゅ)の林に 宿かさん

はるか昔に学校音楽教科書から消滅して、今はもう接する機会もなくなったのに、ずっと前に聴いた覚えがある「あの歌」が忘れられなくて、遠い記憶をたぐり寄せ、五線楽譜や録音音源を探し回る-。若い読者の方には分からない感覚かもしれませんが、ブログ・SNSなどで年配の方のお話を伺うと、時折そんな歌との出会いもあって「温故知新」の醍醐味を感じます。
私にとって『田舎の冬』は、年配のブログ仲間を通して出会った、貴重な歌になりました。なにしろ詩の言葉遣いが古風だから、教科書から早く消滅した(→学校で習わなかった)のは仕方ないことですが、陰うつで物憂げな雰囲気に満ちたニ短調(フラット1つ、D-minor)のメロディー、1度聴いたらずっと忘れられない。私自身が田舎在住(それに寒がり)なので、都会の方よりも『田舎の冬』に親しみがわくのかもしれません。
ごく最近になって『田舎の冬』の録音音源が動画サイトにアップされ、歌を知らない方でも手軽に聴けるようになりました。

この歌詞には難解な表現が多く含まれているので、文語の言葉を拾い出しながら、大雑把な意味を考えてみたいと思います。
最大の特徴は ♪ほういほい ほういほい~♪ 鳥たちへのかけ声でしょう。1番は「群雀」(むら雀)スズメの群れに、2番は「寒烏」(かんがらす)冬のカラスに、3番は「渡り鳥」に呼びかけます。

1番(朝の情景):真白な霜と峰の雪をいただき、村の朝が静かに明けてゆく。ほういほい、雀の群れよ、稲刈りを終えた後の田んぼに残された案山子(かかし)にも、日の光が当たっている。
2番(昼の情景):日なたでは古い服を縫い合わせ、軒先ではつららの溶ける音がする。ほういほい、冬がらすよ、門のそばの枝に柿が二つなっている。
3番(夕暮れの情景):いろりで薪を焚くと夕けむりが立ち、枯れ野には風が吹いて日が暮れる。ほういほい、渡り鳥よ、鎮守の神様がいる林に宿をかりられるか。[「宿かさん」がしっくりこなかった]
* 刈田の案山子(1番)…稲刈りが近づくと、寄ってくるカラスを追い払うため、案山子(かかし)を田んぼに立てる習慣がある。稲刈りを終えた後も、田に残された案山子のこと。
* 垂氷[たるひ](2番)…つらら。凍った水滴が、垂れ下がった氷の形になる。
* 榾[ほだ](3番)…たきぎ。いろり(囲炉裏)やかまどなどで、火をたく時に用いる。
* 鎮守(3番)…鎮守神[ちんじゅがみ]地域や建物などを守護する神。

田舎の冬』の初出は、1932年(昭和7年)5月に発刊された音楽教科書「尋常小学唱歌・第五学年」用の教材でした。この教科書の出版元は「音楽教育書出版協会」であり、文部省の国定教科書に大改訂を施した「新訂尋常小学唱歌」(刊行年:1932年-33年)とは全く異なっています。
(参考資料:うたごえサークルおけら・唱歌関連年表新尋常小学唱歌
作曲者の島崎赤太郎(しまざき・あかたろう、1874年7月9日-1933年4月13日)は、日本におけるオルガン演奏の先駆者として活動した人です。彼は東京音楽学校(現・東京藝術大学)で教鞭を執るかたわら、1902年-1906年にかけてドイツのライプツィヒ王立音楽院に留学し、現地で不治の病に倒れた瀧廉太郎を支援し続けたことでも知られています。
尋常小学唱歌」の編纂委員として『田舎の冬』を作曲した後、島崎赤太郎は1933年4月13日に58歳で亡くなりました。彼の墓は東京都台東区の「谷中霊園」にあり、「島崎赤太郎先生之墓」の手前に「昭和八年四月十三日永眠」と記載された石碑があります。(霊園写真

心の窓に灯を

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心の窓に灯を』 (作詞・横井弘/作曲・中田喜直) <歌詞URL:12

冬の寒さがますます厳しくなり、毎晩の木枯らしの音が心と体にしみる季節。こんな夜を過ごす人たちの心を暖めてきた名曲として、あの有名な双子姉妹デュオ「ザ・ピーナッツ」の初期のヒット曲『心の窓にともし灯を』(心の窓に灯を)を聴いてみましょう。

双子姉妹の伊藤エミさん(本名・~日出代)と伊藤ユミさん(本名・~月子)は、1941年4月1日に愛知県知多郡常滑町(現・常滑市内)で誕生し、名古屋市内で少女時代を過ごした後、1959年2月11日に『可愛い花』で芸能界デビューを果たします。国民的な人気者になった「ザ・ピーナッツ」のデュオは、妹ユミさんが楽曲のメロディーを歌い、姉エミさんがハーモニーの旋律を受け持つ歌唱スタイルで広く親しまれ、1975年4月5日に引退公演を終えるまで、長い間日本音楽界の顔として君臨し続けました。
心の窓にともし灯を』は、2人がデビューした年の暮れ、1959年12月に「NHK歳末たすけあい運動」の一環として作られた曲です。1959年9月26日に日本全国を襲った伊勢湾台風は、死者・行方不明者数が5千人を超えるなど、史上最悪の暴風雨災害となりました。復興活動が難航する中、当時18歳の新人歌手であったザ・ピーナッツが、台風の被害を最も大きく受けた地元の人たちに思いを寄せながら『心の窓にともし灯を』を歌い上げたのです。(日本経済新聞・窓クラブ

ザ・ピーナッツの引退後、姉の伊藤エミさんは沢田研二さんとの結婚生活に入り、当時の大物ビッグ・カップルとして話題を呼びましたが、1987年に12年で離婚し、2012年6月15日に癌で亡くなりました。(訃報記事
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とにかく音楽が大好き。クラシック・ポピュラーのCDで自室を埋め尽くしています。

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