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「Will You Be There」と「終りなき旅」

マイケル・ジャクソンさんの全作品中で一番好きな曲は、アルバム『Dangerous』(デンジャラス)の第11曲「Will You Be There」(そこにいてくれますか?)です。

お悔やみを聞くまでジャクソンさんに全く関心がなかった私は、当然ながらCDなど1枚も持っていないので、まず最寄りの店に立ち寄りました。そこには運良く『Thriller』の在庫があり(2001年スペシャル・エディション)そこから私の旅が始まります。それからコンピレーションの『Essential Michael Jackson』で主なヒット曲を概観し、すぐに通信販売で『Off The Wall』『HIStory』/『Dangerous』/『BAD』/『Invincible』の順にオリジナル・アルバムを購入しました。その中でも1991年の『Dangerous』が最も気に入り、11曲目の「Will You Be There」で“今後はマイケルファンになろう!”と決心を固めました。

この曲で最も感動的なのは(もちろん)最後の語りの部分で、ジャクソンさんが震える涙声で語る詩が、苦難の多かった彼の50年の生涯と重なって聴こえます。アルバムで歌詞を通して読んだ時、とりわけ第4連にあるこの節に胸を打たれました。

♪But they told me / A man should be faithful / And walk when not able / And fight till the end / But I'm only human …♪
(訳:でも、みんなに言われる、人は誠実であるべきだと。足が立たない時にも歩き、そして最後まで戦えと言われる。ぼくだって、ただの人間なのに…)

足が立たない時に歩き、最後まで戦い抜いた」このフレーズ、美空ひばりさんの最晩年に何とぴったりの言葉なんだ!! それに、冒頭の歌い出しも
♪Hold me like the river Jordan …♪ (訳:抱きしめてください、ヨルダン川のように…)
ひばりさんの「川の流れのように」と同じく、どこまでも深く雄大ながとうとうと流れ、しかも同じニ長調の歌ではないか!! 没後20周年・命日のすぐ次の日に(1989年6月24日2009年6月25日)でつながった2人に、セットで魅了される!!

ひばりさんの勉強に着手するため、最初に選んだ本は『美空ひばり 神がくれた三曲』(新井恵美子著・北辰堂出版)でした。幅広い層に親しまれている最後の3曲(愛燦燦・みだれ髪・川の流れのように)に焦点を絞り、彼女の生涯の最晩年を中心に解説したものです。本を読み進めていくうちに、ひばりさんがアルバム『不死鳥パート2』からのシングルカット曲として「川の流れのように」を選んだ経緯が出てきました。その時彼女のスタッフが推薦したけど、結局シングル化されなかったのが「ハハハ」という歌だそうです。それが聴きたくなって、さらに旅の足を進め『不死鳥でらっくす』という4枚組のボックス・セットを購入しました。このアルバムの中で、1988年4月11日に東京ドームのこけら落とし公演として行われた「不死鳥コンサート」のオープニング曲「終りなき旅」と出会います。

不死鳥でらっくす』のCDボックス・セットは、以下の構成になっています。
* Disc1:アルバム『不死鳥』全14曲収録。不死鳥コンサートの復帰祝いに録音されたもの。第1曲「みだれ髪」で始まり、最後の第14曲に「終りなき旅」を配置。
* Disc2:アルバム『不死鳥パート2』全10曲収録。ひばりさん生前最後の録音となったもの。最後に「川の流れのように」が置かれている。
* Disc3・4:「不死鳥コンサート」のライブ収録盤。1988年4月11日、東京ドームにて。

Disc3の冒頭でオープニングの「終りなき旅」を聴くと、ここでは1番のみを歌い、切れ目なくメインプログラム筆頭の曲「悲しき口笛」へつながっていきます。つまり、ひばりさんは「終りなき旅」のフルバージョンを、2番まで通して歌う機会のないまま亡くなられたわけです。ところが、彼女が実演で歌う機会を持てなかった2番の歌詞が凄すぎる。(歌詞URL:作詞・なかにし礼/作曲・三木たかし
THIS IS IT」の復帰コンサートを目指していたジャクソンさんに、これ以上ふさわしくマッチする曲はない!!

その頃にはすでに9月後半でしたから、ジャクソンさんが実現できなかった幻のロンドン公演のリハーサル映像も映画化が決定し、いろいろな情報が入り始めていました。10月28日に映画『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』が公開され、サントラ盤CDも同時に発売されると、私は直ちに写真ブックレットつきの限定盤2枚組セットを買い求めました。そして、ひばりさんの「終りなき旅」を聴きながらブックレットの写真集を眺めるようになります。こうして、私の中でジャクソンさんの「Will You Be There」とひばりさんの「終りなき旅」の“脳内連係プレー”が確立してゆきました。

年末の12月30日、私は初めてNHK-BS2の特番「美空ひばり・永遠の歌姫~20年の歳月を越えて~」を録画します。この3時間半番組は、命日の2009年6月24日ではなく、2日後の6月26日に放映されたものの再放送でした。何だこれは、他のテレビ局のニュース番組が「ジャクソンさん急死」の報道で激震していた時ではないか!! 手元に保管してある6月26日の夕刊を見たら、間違いなくあの日に放映された番組でした。
この番組は、ひばりさんの曲作りに深く関わった作詞家・作曲家たちを軸に構成したものです。最後は(「川の流れのように」ではなく)不死鳥コンサートのラストシーンで結ばれていました。

ひばりさんは涙声で最後のあいさつをした後、「終りなき旅」のキーワード
苦しくとも 悲しくとも 終りなきこの旅を 歌でつらぬかん…♪
を歌い、コンサートを「人生一路」で締めくくります。その後、120メートルの花道を何度も立ち止まりながら歩き、東京ドームのステージを後にしました。ファンの方なら、何度も繰り返し見たシーンのはず。でも、それを「2009年6月26日」に思い返したことに不思議な縁を感じます。その日に死去が報じられた(現地時間2009年6月25日ジャクソンさんが「Will You Be There」の歌詞に書いた情景そのものでしたから。

20年の歳月を越えてマイケル・ジャクソンさんから美空ひばりさんへ、「Will You Be There」のパラフレーズ(第4連):
“She was faithful / And walked when not able / And fought till the end / As a great human.”(彼女はどこまでも誠実であり、足が立たない時に歩き、最後まで戦い抜いた偉大な人だった。)
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豊橋駅前・ココラアベニューのマイケル・ジャクソン展にて

Entrance_MJ_Exhibition

2009年11月30日、私は豊橋駅前に新しくオープンした複合商店街「ココラアベニュー」を訪れ、午前10時から午後4時まで「マイケル・ジャクソン展」で過ごしました。かつて豊橋市内の高校に電車通学していたので、懐かしい場所でマイケルと出会うことができたのです。
[ココラアベニュー店内より:12
この会場ではいろいろなグッズ販売のほかに、彼の遺族に届く寄せ書きのスペースもありました。私は係員さんに無理を頼み、準備してきた「美空ひばりさんの紹介」を手書きで残してきました。

Dearest Michael,
On the day you passed away, I remembered the saddest day of our music history. We lost the greatest, most legendary female singer just 20 years and one day before - «June 24, 1989». Her name is MISORA HIBARI (May 29, 1937 - June 24, 1989).
Born in May 29, 1937, Hibari started her singing career soon after the end of WWII as a child star (like you). She “worked day and night” for Japanese music culture for over 40 years - endured countless difficulties, sometimes unbearable ordeals (like you). At her final illness, she “walked when not able, and fought till the end” (from «Will You Be There») - died at age 52 in June 24, 1989. Hibari's death meant “the end of Japanese postwar music history” - we've mourned over her loss for 20 years.
Most of all, her songs reached many foreigners' hearts, even sung in Japanese. Notable musicians like Harry Belafonte, Louis Armstrong, Nat “King” Cole admired Hibari. Her famous songs, only few examples:
* «Kawa no nagare no you ni» ( = Like a Flowing River)
* «Ai san san» ( = Shining Love) and more …
still deeply loved, including foreign people. Unfortunately, on your first visit of Japan for «BAD» TOUR (1987), she was already suffering from her deadly disease - had no chance to know your music.
«Japanese Skylark carried King of Pop after 20 years!!»

Now, things are getting a little bit better - someone writes inaccurate / distorted comments on you, but another person “immediately” corrects, sometimes with protest. (serious skin disorder, perfect innocence, etc.)
With love from Hibari's country - Rest in peace, Michael.
- November 30, 2009 -

(Additional message with a thick black pen)
Through our joy and our sorrow / In the promise of another tomorrow,
We'll never let you part. … For you're always … in our hearts. («Will You Be There»)
~ your voice with tears ~

(以下、日本語の訳文で紹介します)

最愛のマイケルへ:
あなたがこの世を去った日に、私は日本音楽史で最も悲しい日を思い浮かべました。「1989年6月24日」-ちょうど20年と1日前-私たちは最も偉大な、伝説の女性歌手を失いました。その人の名前は「美空ひばり」さんといいます(1937年5月29日-1989年6月24日)。
1937年5月29日に生まれたひばりさんは、第2次世界大戦の終戦直後すぐに(あなたと同様に)チャイルド・スターとして歌手活動を始めました。彼女は40年余りにわたって、日本音楽文化のために「昼も夜も働きました」(“Working Day and Night”)。その間無数の苦難に耐え、時には(あなたと同様に)耐え難い試練もありました。最後の病気を患った時、彼女は「足が立たない時に歩き、最後まで戦い抜きました」(“Will You Be There”より)-そして、1989年6月24日に52歳で亡くなりました。ひばりさんの死去は「日本の戦後音楽史の終焉」を意味する出来事でした-私たちは20年間ずっと、彼女の死を哀悼し続けてきました。
何にもまして、彼女の歌声は「日本語で歌われても」多くの外国人の心に届きました。ハリー・ベラフォンテ、ルイ・アームストロング、ナット・キング・コールなどの著名な音楽家たちがひばりさんを賞賛しました。彼女の数々の名曲は、外国人も含めて今なお多くの人々に愛され続けています。ほんのわずかな例を挙げるだけでも『愛燦燦』『川の流れのように』などがあります。しかし不運だったのは、あなたが「BAD TOUR」で初来日した1987年、彼女がすでに死の病を患っていたことです。そのため、彼女はあなたの音楽に触れる機会を得られませんでした。
日本の不死鳥・ひばりが「キング・オブ・ポップ」を連れて行った!!

今では(あなたの存命中に比べて)物事は少しずつ良い方向へと進んでいます。ある人があなたについて、不正確でゆがんだ事を書くとしても、別の人が“すぐに”時には抗議をもって訂正発言してくれます。(皮膚病のことや、完全な無実など)
「ひばりの国より」愛をこめて-マイケル、どうか安らかにお休みください。
-2009年11月30日-

<寄せ書きスペースにて、黒の太ペンで書き足したメッセージ>
喜びの時も、悲しみの時も/新しい明日に期待を寄せながら/
私たちはあなたのもとを離れません…/あなたはいつも…私たちの心の中にいるから。
(«Will You Be There») ~あなたの涙声~

注1:“Working Day and Night”はアルバム『Off The Wall』の第3曲。マイケル・ジャクソン単独作詞・作曲による。
注2:ハリー・ベラフォンテは「USA For Africa」発起人の1人で、『We Are The World』でマイケルと一緒に仕事をした。ベラフォンテの名前を最初に列挙したのは、その理由による。

ショパン・イヤーとポーランドの星

私はこれまで30年近くクラシック音楽ファンをやってきましたが、3年前に「ようやく」今後の成長をずっと楽しみに見守ってゆきたいと願う、1人の若手ピアニストの逸材を見つけました。その人は2005年ショパン・コンクールの完全制覇者になったラファウ・ブレハッチ(Rafał Blechacz)さんです。

もともと私は国際ピアノコンクールの審査には懐疑的で、“xxさんがyy国際コンクールで優勝した”ニュースにほとんど関心を持たないタイプです。2007年10月、ブレハッチさんのドイツ・グラモフォンデビュー盤としてショパン24の前奏曲』のCDを見た時も、初めは少し懐疑的でした。彼が副賞全部門を完全制覇するほど、地元の聴衆から熱狂的な反応を受けた様子を知りましたが、本格的に彼を応援したくなったのは「ポーランド市民交流友の会」から集めた数々の情報がきっかけでした。
(第1弾の紹介記事:ポーランドの新星ラファウ・ブレハッチを訪ねて

その時から感じていたのですが、ブレハッチさんは自分の公式サイトのメンテナンスにはあまり関心がないタイプのようで(コンサート・スケジュールにも昔のが残っていることが多かったり、自身の写真ギャラリー拡大にも関心がなさそう)、ご自分のブログも全く書いておられません。それで、彼のコンサート・スケジュールはドイツ・グラモフォン社のページから探しています。こんな事が簡単にできるようになったのも、インターネット時代ならではですね。

さて、そのブレハッチさんが2月26日から3月6日までアメリカ演奏旅行に出られます。ショパン生誕200年の記念日にあたる3月1日には、国連総会大ホールの大舞台でオール・ショパン・プログラムの演奏会を開催するそうです。ポーランド国民からの期待が、この24歳の青年に注がれている。他のコンサートのプログラムを見ると、日本にいる私もワクワクするような曲目ばかりです。

2月26日、ニューヨーク・メトロポリタン博物館でのリサイタル曲目(現時点ではまだ空席がありそう)
1.J・S・バッハ:パルティータ第1番 変ロ長調、BWV. 825 <初披露曲>
2.モーツァルト:ピアノ・ソナタ第16番 変ロ長調、Kv. 570
3.ドビュッシー:ピアノのために <初披露曲>
4.ショパン:バラード第3番 変イ長調、Op. 47
5.ショパンスケルツォ第1番 ロ短調、Op. 20 <懐かしい、コンクール時代以来だ!!>
6.ショパン:ポロネーズ第7番 変イ長調“幻想ポロネーズ”、Op. 61

コンサート初披露曲のバッハとドビュッシーはもちろんですが、私が一番聴きたいのは「スケルツォ第1番ロ短調」の演奏。実は、ブレハッチさんが2003年の「浜松国際ピアノコンクール」1次予選で弾いた曲が、このスケルツォ第1番だったそうです。だから、あの曲は「ブレハッチショパン正真正銘の世界デビュー曲」というわけです。あれから7年、彼はどのような成熟を聴かせてくれるのでしょう。
このプログラムは、アメリカ演奏旅行の最終公演(3月6日・ジョージア州アトランタのクレイトン州立大学音楽学部にあるスパイヴィー・ホール)も含めて、各地で開かれるそうです。私が世界のどこへでも飛んでいけるスタミナがあったら、どこかのリサイタルに飛んでいきたいな。

(追記)今年10月、ブレハッチさんの来日公演日程が決定しました。(ポーランド市民交流友の会のサイトから得た最新情報による)私は10月9日、愛知県芸術劇場コンサートホールのチケットを確保したので、半年先のイベントを楽しみにしているところです。

Blechacz_Chopin_1  Blechacz_Chopin_2

あの日から

2009年6月26日。その日までは、私はその人に全く興味がありませんでした。

ネットニュースを見て、それまで興味を持たなかった人の訃報に「え~っ!!」と驚き。通っているスポーツジムでも、行きつけのコーヒーショップでも「誰もが」何らかの形でその人のことを知っていて「最も知らないのは、話しかけている私」そんな時が2週間ぐらいは続きました。田舎町の最寄りのCDショップに行ったら、当時はどこでも品切れ・入手困難だったはずの『スリラー』アルバムが在庫していました。(2001年スペシャル・エディション)「2週間前までは考えられなかった事をしたよ~!」と周囲の人に話しかけたものです。このアルバムには、すぐに親しめる曲は少なかったけど、動画を見ていたら“She's Out Of My Life”(アルバム『オフ・ザ・ウォール』収録曲、日本語題「あの娘が消えた」)が気に入って…そこから、私は「マイケル・ジャクソン」に関心を膨らませてゆきました。

実は「ジャクソンさんが死去した」2009年6月25日のニュースを聞いた時、私の第一印象は「美空ひばりさん没後20周年・命日のすぐ次の日に!!」でした。ひばりさんの死去は「1989年6月24日」でしたから、真っ先に彼女のことが思い浮かびました。6月26日の夕刊は、今もそのまま保管してあります。その時は気づかなかったのですが、後で見たらNHK-BS2で「美空ひばり・永遠の歌姫~20年の歳月を越えて~」という特番をやっていたのです。BS2の番組を見ていたひばりファンの方でも、もしかして…他のテレビ局のニュース番組は、どれほど驚愕に包まれていたか。こんな書き方をしているだけで、私がめったにテレビを見ないことが分かってしまいます。

それから、私の音楽生活の中では「マイケルひばり」が大きな位置を占めるようになりました。周囲の人たちにはうまく通じるのに、ネットのマイケルファン・コミュニティでは…。このブログでは、そんな話が多くなるだろうと思います。

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Author:SC
とにかく音楽が大好き。クラシック・ポピュラーのCDで自室を埋め尽くしています。

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