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亜麻色の髪の乙女

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亜麻色の髪の乙女』(La fille aux cheveux de lin)-フランスの作曲家クロード・ドビュッシー(1862年-1918年)の「前奏曲集・第1巻」第8曲の題名。1909年-10年に書かれた作品で、ドビュッシーを代表する名作のひとつとして広く知られています。
日本の音楽愛好家だと『亜麻色の髪の乙女』と聞けば、違う曲を連想するかもしれません。もともとはグループ・サウンズの大物「ヴィレッジ・シンガーズ」が1968年にヒットさせ、2002年に女性歌手の島谷ひとみさんがカバーして、さらに幅広い人気を得たあの歌。(作詞・橋本淳/作曲・すぎやまこういち)
♪亜麻色の長い髪を 風がやさしくつつむ…♪ <歌詞URL

ドビュッシーのピアノ独奏曲『亜麻色の髪の乙女』は、フランスの詩人ルコント・ド・リール(1818年-1894年)の「古代詩集」(1852年)に収められた「スコットランドの歌」からヒントを得たとされています。
夏の明るい陽をあびて ひばりとともに愛をうたう 桜桃の実のくちびるをした美少女
この訳詩が検索サイトでヒットしたのですが、いったい誰の手による翻訳でしょうか。ルコント・ド・リールの作品の日本語訳は、ほんのわずかしか存在しないそうです。

それでは、単独で演奏されることも多いドビュッシーの名曲『亜麻色の髪の乙女』を、ポーランドの巨匠ピアニストであるクリスティアン・ツィメルマン氏の演奏でお楽しみくださいませ。
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雪の上の足跡

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雪の上の足跡』(Des pas sur la neige)-フランスの作曲家クロード・ドビュッシー(1862年-1918年)の「前奏曲集・第1巻」第6曲の題名。作曲年代は1909年-10年頃でした。
楽譜の冒頭には、作曲者の注意書きで「このリズムは悲しく凍りついた風景の、音による背景とならなければならない」と記されています。(訳文:松橋麻利著『ドビュッシー』、2007年、音楽之友社刊)

初めてこの曲を聴いた時、私が思い出したもの。小学生になって間もない頃にNHK「みんなのうた」で聞いた大竹しのぶさんの『雪のわすれもの』という歌。同番組の公式サイトによれば、初放送は1977年2-3月でした。(作詞・小沢章友/作曲・中村勝彦)
♪みかんがひとつ 雪のみち/だれがおとして しまったの
ぼうしがひとつ 雪のみち/だれがわすれて しまったの…♪ <歌詞URL
真っ白な雪景色の中に、赤いみかんがぽつんと落ちた実写風景。小学校に入学し、忘れ物ばかりするそそっかしい子供の私にはずっと忘れられない場面でした。(この歌には以後の再放送がなく、残念ながら収録CDも動画もありません。)

ドビュッシー:前奏曲集 第1巻 第6曲『雪の上の足跡』> (ピアノ:クリスティアン・ツィメルマン)

こぎつねコンコン

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こぎつね』 (文部省唱歌/作詞:勝承夫/原曲:ドイツ民謡) <歌詞URL

1.小狐(こぎつね) コンコン 山の中 山の中
草の実 つぶして お化粧したり
もみじの かんざし つげのくし
2.小狐 コンコン 冬の山 冬の山
枯葉の着物じゃ ぬうにもぬえず
きれいな もようの 花もなし
3.小狐 コンコン 穴の中 穴の中
大きな尻尾(しっぽ)は じゃまにはなるし
小首を かしげて かんがえる

こぎつねコンコン 山の中…♪ 遠い昔に小学校で習った、かわいらしい歌詞の文部省唱歌。
原曲の古いドイツ民謡は 《Fuchs, Du hast die Gans gestohlen》 (きつねがガチョウを盗んだ)という題名の曲で、きつねにガチョウを盗まれた飼い主の怒りの歌だそうです。(世界の民謡

ドイツ民謡に日本語詞をつけた文部省唱歌だと、明治時代の学校音楽教育の黎明期だろうか。日本語作詞者の名前と経歴を調べただけで、そうではないと分かりました。
勝承夫氏(かつ・よしお、1902年1月29日-1981年8月3日)は著名な詩人として、東洋大学理事長・日本音楽著作権協会(JASRAC)会長などの要職を務めました。データベースサイト「童謡ネット」の作詞・作曲者人名録によれば、勝承夫氏が日本語歌詞をつけた外国歌曲は、多数の有名作品を含んでいます。
* ドイツ民謡:こぎつね・夜汽車・かすみか雲か/イギリス民謡:とうだいもり(灯台守)
* 故郷の人々(作曲:スティーブン・フォスター/アメリカ) その他多数
これらは1947年(昭和22年)太平洋戦争の終結後、新しい文部省唱歌として作られたものです。

時たつうちに“こぎつねコンコン”の替え歌ができて、いつの間にか勝承夫氏のオリジナル歌詞と一緒に歌われるようになりました。『かぜひきこぎつね』は「コンコン」を風邪に見立てたものです。オリジナルの歌詞は長調(メジャー)で歌いますが、替え歌の『かぜひきこぎつね』は短調(マイナー)になります。
♪こぎつね こんこん かぜひいた かぜひいた
きのみを つぶして くすりをつくり/のんでは みたけど なおらない…♪

動画サイト内の“こぎつねコンコン”は、ほとんどが子供の発表会とか練習の類ばかりで、納得して紹介できるものがありませんでした。一番上の「歌詞URL」でmidi音が鳴るものを使いましたので、そちらをクリックしてお楽しみくださいませ。

かあさんの歌

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かあさんの歌』 (作詞・作曲/窪田聡) <歌詞URL:12

小学校入学前にNHK「みんなのうた」のLP盤で覚え、学校の授業でも習った『かあさんの歌』。真冬の厳しい寒さの中で、母親が毎日の生活に苦労しながら、家族に注ぎ続ける暖かい愛情の歌です。
私の母親が手指のあかぎれに悩まされて「かあさんのあかぎれ痛い」(3番冒頭)そっくりそのままの様子を見ながら育ったので、この歌詞には早くから親近感を持っていました。それなのに、学校の音楽の授業では先生から詳しい意味を聞けず“ただ歌わされるだけ”の感じでした。
ちょっと検索しただけで“学校では教えてくれない”背景的情報がいろいろ出てくる。作者・窪田聡さんの屈折した生い立ちなど、たしかに小中学生の子供たちには説明しづらいものがあったでしょう。

3連からなる『かあさんの歌』の歌詞構造で、どうしても押さえておくべき必須事項があります。
<1番から3番まで、いずれも3行目・4行目は「かあさん」のせりふになっている>
1番:木枯らし吹いちゃ 冷たかろうて/せっせとあんだだよ
2番:おとうは土間で わら打ち仕事/お前もがんばれよ
3番:根雪もとけりゃ もうすぐ春だで/畑が待ってるよ
母親のあかぎれを見てきた私には、この基本構造さえ“学校では教えてくれない”話でした。

窪田聡さん(本名・久保田俊夫)は1935年、東京の下町(現・墨田区京島)で建具店の5人兄弟の4男として生まれました。少年時代に太平洋戦争が起こり、一家は父親の郷里である長野県上水内郡津和村(後の信州新町:2010年1月1日より長野市に編入)に疎開します。終戦までの1年間、疎開生活の家事に労苦していた母親の姿と、農村地で見た風景が、彼の心にずっと残りました。
東京の開成高校に在学中、窪田さんは「うたごえ運動」と文学に熱中し始め、太宰治に憧れて作家志願を考えましたが、両親との葛藤が大きくなったため、高校卒業後の家出を決心します。早稲田大学に合格した後、彼は大学の入学金・授業料を持って家出し、安宿に住んで職を転々とする生活を送りました。数年後に次兄が彼の下宿を探し当て、母親は音信不通だった息子に郵便小包を送り始めたそうです。
1956年に作られた『かあさんの歌』は、窪田さんが没頭していた「うたごえ運動」を通して日本全国に広がっていきます。1961年にNHK「みんなのうた」の番組が始まると、『かあさんの歌』は1962年2-3月枠(最初の冬枠・後半)で初放送され、より多くの人たちに親しまれるようになりました。

朝日新聞「うたの旅人」2009年2月21日付で「家出息子に届いた小包」の記事が載り、『かあさんの歌』の背景が改めて詳しく紹介されました。(他の参考資料:BS朝日二木紘三のうた物語など)
若い頃から合唱団を率いてきた窪田聡さんは、現在は岡山県瀬戸内市牛窓町に住んで「歌工房ふう」という合唱グループを指導しているそうです。

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旅立ちの日に

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旅立ちの日に』 (作詞・小嶋登/作曲・坂本浩美) <歌詞URL

卒業式の定番ソングとして有名な合唱曲『旅立ちの日に』の作詞者である小嶋登氏が、1月20日に80歳で亡くなられました。この曲は1991年(平成3年)に埼玉県秩父市立影森中学校で、学校長の作詞と音楽教諭の作曲による「教育現場生まれの歌」として誕生しました。
旅立ちの日に』が生まれた頃、私はもう「成人式」も過ぎた年齢で、自分の学生生活そのものが終わりに近づいていました。この合唱曲について調べれば調べるほど、リアルタイムで知らない世代の音楽愛好家には、卒業式でこれを歌った“人生の後輩たち”がうらやましく感じられます。

私の学生時代は「卒業式の歌」の種類が少なかったこともあり、あまり良い思い出が残っていません。
* 海援隊の名曲『贈る言葉』(1980年)が大ヒットしたのは、私が小学校5年生の時。この曲をリアルタイムで自分たちの卒業式に取り入れた。
* 『贈る言葉』と出会う前は、古いお決まりの歌『蛍の光』と『仰げば尊し』の2曲ぐらい。この2曲の時だけ(?)文語体の歌詞の意味を教える時、先生が異様なほど気合を入れていた。
私が中学生から高校生時代を過ごした頃、芸能界で「卒業」をテーマにしたポピュラーソングが何曲かヒットしていましたが、ほとんどは彼氏との別れを惜しむような歌詞ばかりでした。シンガー・ソングライター尾崎豊さんの代表作については、自分の周囲にファンの友達がいなかったこともあり、歌の内容は知らずじまいでした。尾崎さんが亡くなってから何年も後に、初めて『卒業』の歌を知り、とてつもなく深い内容に衝撃を受けたのを覚えています。

※以下の記述は「リアルタイムで知らない世代」が資料から調べたものです。こんな素晴らしい場に居合わせた人たちには、間違いなく一生心に残る、かけがえのない思い出になったことでしょう。

小嶋登先生は1988年(昭和63年)から1991年(平成3年)まで、3年間埼玉県秩父市立影森中学校の校長先生を務めました。小嶋先生の赴任当時、影森中学校は雰囲気が荒れていたそうです。荒れ果てた学校を立て直すため、小嶋先生は「歌声の響く学校」を教育目標に掲げて奮闘し続けました。
瞬く間に3年間が流れて、1991年春に小嶋先生は定年退職の時を迎えます。校長先生の赴任と同時に入学した生徒たちの卒業式は、小嶋先生にとっても「教員生活最後の卒業式」であり、先生と生徒の両方にとって「旅立ちの日」になるのです。「卒業生を送る会」に先立って、小嶋先生は音楽教諭の坂本浩美先生とともに《教職員の出し物》として「卒業生に贈る歌」を作ろうと相談しました。小嶋先生は一晩で詩を書き、坂本先生はすぐ翌朝、授業のない時間に曲をつけました。
影森中学校「卒業生を送る会」で、小嶋登先生は「このメロディーはとてもきれいなメロディーで、すぐ覚えられますから、皆さんと一緒に歌ってもらえるとうれしいなと思います」と紹介します。これが名曲『旅立ちの日に』の学校初演でした。

動画1:『旅立ちの日に』初演 (1991年3月、影森中学校「卒業生を送る会」)


校長先生と音楽教諭による手作りの「卒業生に贈る歌」は、間もなく学校の音楽教師向けの専門雑誌に取り上げられて、すぐに日本全国の卒業式で採用されました。発祥地の影森中学校では、初演の翌年から卒業生たちが歌うようになりました。作曲を担当した坂本浩美先生は、その後結婚して「高橋浩美」の名前になり、現在も中学校の音楽教諭を続けておられるそうです。
時たつうちに、芸能界の歌手たちも『旅立ちの日に』をカバーし始めます。2005年2月には、ダイヤモンド社からDVDブック《「旅立ちの日に」の奇蹟》が出版されました。小嶋登先生は退職後、坂本浩美先生に「すごいことになったな」と話しておられたそうです。

動画2:SMAPカバー版『旅立ちの日に』 (2007年3-4月、NTT東日本「フレッツ光」CMソング)

真白き富士の根

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真白き富士の根』 (作詞・三角錫子/作曲・Jeremiah Ingalls) <歌詞URL:12

1.眞白き富士の根 緑の江の島/仰ぎ見るも 今は涙
歸らぬ十二の 雄々しきみ霊(みたま)に/捧げ奉る 胸と心
2.ボートは沈みぬ 千尋の海原/風も浪も 小さき腕に
力もつきはて 呼ぶ名は父母/恨は深し 七里ヶ濱邊
3.み雪は咽(むせ)びぬ 風さえさわぎて/月も星も 影をひそめ
み霊よ何處に 迷ひておはすか/歸れ早く 母の胸に
4.御空にかゞやく 朝日のみ光/暗(やみ)にしづむ 親の心
黄金も寶も 何しに集めん/神よ早く 我も召せよ
5.雲間に昇りし 昨日の月影/今は見えぬ 人の姿
悲しさ餘りて 寢られぬ枕に/響く浪の 音も高し
6.歸らぬ浪路に 友よぶ千鳥の/我も戀し 失せし人よ
つきせぬ恨みの 泣く音は共々/今日もあすも かくて永久(とわ)に

1910年1月23日-神奈川県鎌倉市内にある「七里ヶ浜海岸」にて、日本の歴史に残る悲劇的な海難事故が起きました。1隻のボートが真冬の海に転覆し、乗っていた男子生徒12名全員が死亡したのです。彼らのために作られた追悼曲は、アメリカからの輸入賛美歌に日本語歌詞をつけたものでした。
事故が起きた地名から『七里ヶ浜の哀歌』と呼ばれたり、歌詞の冒頭部から『真白き富士の根』(真白き富士の嶺)と呼ばれる哀悼曲。この事故にちなんで、1月23日は「真白き富士の嶺の日」と呼ばれているそうです。
昨年1月23日は、事故からちょうど100周年の命日でしたが、私はまだ「音楽の旅」ブログの開設を考えていませんでした。記念年から“1年遅れ”となりますが、この記事で新書庫を立ち上げることにします。

ボート事故で死亡したのは、逗子開成中学校の男子生徒12名でした。事故の詳細については、逗子開成中学校・高等学校の公式サイトで調べることができ、「学校の歴史」の欄から直接「真白き富士の根」にアクセスできます。連載の形をとった公式資料の「第2回」によれば、ボート事故で遭難した12名は鳥撃ちを狙って海に出ましたが、2つの基本的な規則に違反したそうです。「箱根号」のボートも7人乗り程度の小型艇でしたが、10数名が“定員オーバー”の乗船を行い、出初式で海岸にいた消防士たちの忠告も聞かなかったそうです。
1.学生監・舎監の連署がなくてはボートを借り出すことは出来ない。
2.教師の許可があっても、教師の同乗がなくては日蔭茶屋(葉山)から大崎(小坪)を結ぶラインから沖に出てはならない。

事故が起きた1月23日から、七里ヶ浜沖の捜索活動は難航を極め、遭難者12名全員の遺体収容まで4日間もかかりました。2週間後の2月6日に行われた12名の「追悼大法会」において、鎌倉女学校の教師を務めていた三角錫子(みすみ・すずこ)の作詞による「真白き富士の根 緑の江の島…」の賛美歌が、彼女の弾くオルガンと女学校最上級生の歌唱で紹介されました。

<逗子開成中学校・高等学校ホームページ:学校の歴史「真白き富士の根」連載内容>
第1回:発端/第2回:事故の顛末・その1-事故発生/番外編:「根」と「嶺」
第3回:事故の顛末・その2-捜索活動/第4回:遭難生徒の横顔/第5回:遭難原因と学校の対応
第6回:追悼大法会/第7回:「七里ヶ浜の哀歌」と三角錫子先生-その1
番外編2:「泣くな若人」/第8回:「七里ヶ浜の哀歌」と三角錫子先生-その2
第9回:ボート遭難事故関係の遺跡/最終回:ボート遭難事故犠牲者の墓所

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作詞者・三角錫子(1872年4月20日-1921年3月12日)は、1916年(大正5年)に常磐松女学校(現・トキワ松学園)を創立した教育者として知られています。彼女は逗子開成中学校と「兄妹校」の関係にある鎌倉女学校で教えていた期間中、七里ヶ浜沖のボート遭難事故を知り、一夜のうちに賛美歌の歌詞を書き上げました。女性の地位向上を目指し、わずか48歳の若さで亡くなった彼女の生涯は「真白き富士の嶺三角錫子の生涯」(村上尋著・1992年6月刊)に詳しく紹介されています(現在は絶版)。
賛美歌の歌詞は、子供を失った親の悲しみを痛切に表現しています。(事故の遺族の中には、1度に4人の子息を失った貿易商がいました。)力尽き果てたわが子が最後に「呼ぶ名は父母」と思いを馳せ(2番)何のために財産を集めるのか「神よ、早く私もお召しください」と叫び(4番)毎晩眠れぬ夜を過ごし(5番)永遠に泣き続けるだろう(6番)…親の恨みと悲しみは、いよいよ深く募るばかりです。

外国から輸入した既存の旋律に日本語歌詞をあてがう場合、いろいろな問題が起こります。世界の民謡などで「作曲者不詳」の歌もたくさんあるし、原作者が分かっている曲でも、どこかで見失ったり…など、ほんの一部に過ぎません。『真白き富士の根』(七里ヶ浜の哀歌)の場合は、後日の綿密な調査によって原作者名と事情が判明しました。(詳しくは前述の連載「第7回」を参照のこと。)
真白き富士の根』の原曲は、アメリカの作曲家・インガルスによる《When We Arrive at Home》(我らが帰郷する時)という賛美歌だそうです。彼の名前[Jeremiah Ingalls]は、日本語資料では「ジェレマイア・インガルス」または「ジェレミー・インガルス」と表記されています(“ジェレマイア”が厳密な読みに近い)。
ジェレマイア・インガルス(1764年3月1日-1828年4月6日)とは、アメリカ合衆国が独立国家になって間もない時期に、教会音楽家として活躍した人でした。(賛美歌検索:NetHymnal

ONLY YESTERDAY

長く続いた孤独を乗り越えて、やっと愛する人と出会えた喜び。カーペンターズが1975年に発表したオリジナル曲『オンリー・イエスタデイ』は、そんな愛の喜びを単刀直入に、美しく歌い上げた名作です。
この歌は「作詞:ジョン・ベティス/作曲:リチャード・カーペンター」の黄金コンビによるもので、兄のリチャードは『オンリー・イエスタデイ』を自分たちの「最高傑作」と称賛しています。彼にとっては「ヒット曲がしばらく続いた後の時期で、作るのが難しかった」そうなので、作詞・作曲・編曲・演奏・編集のすべてが完璧に溶け合った会心の仕上がりに、生涯の誇りを覚えたのでしょう。

本ブログの過去記事で『青春の輝き』(1976年)を書いた後、あそこに使った日本語訳サイトがリンク切れになったのに気づき、代わりとなる別のサイトを探してみました。しかし、カーペンターズの曲に関しては「日本語訳詩つき動画」が整っているため、この記事でも和訳サイトからの引用は省略します。
その検索中に見つけた「カーペンターズカレンの悲劇」の記事。皆様がよくご存じのように、妹のカレン拒食症を患い、1983年2月4日に32歳の若さで亡くなりました。妹の早すぎる死について、兄のリチャードはどんなとらえ方をしたのでしょうか。(記事URL
仕事のパートナーとして以上に「最愛の妹」家族として愛してほしかったのではないだろうか…あまりにも悲しすぎる見解が述べられていました。

«Only Yesterday» by Carpenters <歌詞URL

Automatic

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ちょうど12年前の今頃、日本中で聞こえた会話。“この曲は何?”/“この歌手、何という名前?”
宇多田ヒカルさんという名前だよ。まだ16歳の女の子で、シンガー・ソングライターなんだって」
「ものすごく歌が上手いな~」/「え~っ、こんな難しい曲を自分で作るの? それも16歳の子が??」
私もそんな会話に加わったひとり。長年クラシック音楽一辺倒で過ごした私も、若き天才・宇多田ヒカルさんの歌唱力と、シンガー・ソングライターとして作り出す楽曲のレベルの高さに多大な衝撃を受けました。

東芝から発売された宇多田ヒカルさんのデビューアルバム「First Love」は、反響が加速度的に大きくなったことから、日を追うごとにたくさんのCDがプレスされ、最終的に800万枚を超すセールス記録を樹立しました。あの頃はまだインターネットを経由した「音楽配信サービス」がなかったのですが、今の時代はどんな人気アーティストでも、これほどのCD売上枚数は望めない状況になってしまいました。

アルバム「First Love」のセールスが伸びるにつれて“宇多田ヒカルとは何者?”彼女の人物像に対する世間の関心も高まりました。ヒカルさんは演歌歌手・藤圭子さんが、音楽プロデューサー・宇多田照實氏との再婚でもうけたひとり娘で、幼少時代をニューヨークで過ごした。(藤圭子さんは遠い昔、歌手の前川清さんと1年で離婚している。)デビュー当初は「藤圭子の娘」と呼ばれたヒカルさんでしたが、彼女が本物の実力を備えた音楽家として名声を確立すると、今度は藤圭子さんのほうが「宇多田ヒカルの母」と呼ばれるようになりました。

<アルバム「First Love」より・シングル盤3枚>
1.Automatic / time will tell (オートマチック/タイム・ウィル・テル:「時間がたてば分かる」)
2.Moving On Without You (ムーヴィン・オン・ウィズアウト・ユー:「あなたなしでやっていく」)
3.First Love (ファースト・ラブ)
私が一番好きだったのは、2枚目の『Moving On Without You』でした。その理由は「音楽的な完成度が非常に高く“攻略”しがいがある」難曲だったからです。

デビューシングル曲『Automatic』は、初恋(ファースト・ラブ)の相手と一緒にいるだけで“自動的に太陽が輝き出す”ときめく気持ちを歌っているようです。
“rainy days / ... sun will shine / It's automatic ... / I just can't help ...”
1番の歌詞は、その人と電話で話している時。2番のサビの部分には“computer screen”(コンピューター・スクリーン)が登場します。ちょうどインターネットの普及が急加速した時期で、タイムリーさも備えた詩でした。
初恋に限らず、恋愛感情は揺れ動くもの。第2曲『Moving On Without You』になると、少女は相手とのすれ違いを感じ始めて、気持ちの焦りを隠せなくなります。そして『First Love』では、終わった初恋への思いをスローバラードで歌い上げます。

わずか16歳の若さで日本音楽界の頂点に立った天才シンガー・ソングライターは、その後いろいろなプレッシャーや苦悩を背負いながら、自らの手で数々の作品を書き続けました。そんな彼女が、2010年8月9日に自身の公式ブログで無期限の音楽活動休止を宣言します。理由は「12年間の《アーティスト活動》とはまた違う《人間活動》に専念するため」と述べられ、最後を本名の「宇多田光」で結びました。
ひとりの人間として、きょう28歳の誕生日を迎える宇多田ヒカルさん。聴衆の私たちは、彼女が世に送り出した2枚のシングル・コレクションをじっくり味わいながら、静かに彼女の《人間活動》を見守るでしょう。

Automatic』 (作詞・作曲/宇多田ヒカル) <歌詞URL

CHASSE NEIGE

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昨年・2010年はフレデリック・ショパンロベルト・シューマンの「生誕200年記念」でしたが、今年・2011年はフランツ・リスト(1811年10月22日-1886年7月31日)が生誕200年を迎えます。
本ブログで最初に紹介するリスト作品は、ちょうど今の厳冬期を描写したようなピアノ独奏曲。全12曲からなる「超絶技巧練習曲」の最後を締めくくる曲『雪あらし』(Chasse Neige)です。

フランツ・リストの「超絶技巧練習曲」は比較的早い時期に構想が始まり、再三の改訂を経て1851年に現在の形にまとめられました。曲集の名称は 《Etudes d'exécution transcendante》 というフランス語で表記されています。(ピティナ・ピアノ曲事典
作曲者自身が標題を与えた個々の曲については、大半はフランス語で名づけられているものの、1曲はドイツ語の題名で、1曲はフランス語でもドイツ語でもないものがありました。第2番・第10番の2曲には標題がなく、速度標語のみとなっています。

Franz Liszt: 《Etudes d'exécution transcendante》 S.139
第1番・ハ長調 『プレリュード』 《Preludio》
第2番・イ短調 Molto vivace
第3番・ヘ長調 『風景』 《Paysage》 (フランス語)
第4番・ニ短調 『マゼッパ』 《Mazeppa》
第5番・変ロ長調 『鬼火』 《Feux follets》 (フランス語)
第6番・ト短調 『幻影』 《Vision》
第7番・変ホ長調 『エロイカ』 《Eroica》
第8番・ハ短調 『荒野の狩』 《Wilde Jagd》 (ドイツ語)
第9番・変イ長調 『回想』 《Ricordanza》 -フランス語でもドイツ語でもない。
第10番・ヘ短調 Allegro agitato molto
第11番・変ニ長調 『夕べの調べ』 《Harmonies du soir》 (フランス語)
第12番・変ロ短調 『雪あらし』 《Chasse Neige》 (フランス語)

最後の 《Chasse Neige》 というフランス語の曲名を、日本語にどう訳すか。CDの解説書や、ピアノ曲解説事典でも「雪かき」「雪あらし」に大きく分かれています。
フランス語の“chasse”は、英語の“chase”と同様に「追跡」(狩り)の意味。直訳調だと「雪かき」と訳したくなりそうだけど、曲の雰囲気は「雪あらし」そのものでしょう。

それでは、フランツ・リスト作曲「超絶技巧練習曲」を締めくくる第12曲『雪あらし』を、チリ出身のピアニストであるクラウディオ・アラウ氏(1903年-1991年)の演奏でお楽しみくださいませ。

テニス

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テニスは好きですか?」-「ええ、好きですよ。」 (Do you like tennis? - Yes I do.)
ごくありふれた質問と答え。これはイギリスのシンガー・ソングライター、クリス・レア(1951年3月4日生)のアルバム『TENNIS』(1980年)のタイトル・ナンバーです。

なぜこの曲を出すかというと、きょうはテニス・グランドスラム大会のひとつである「全豪オープン」(オーストラリアン・オープン)の開幕日だからです。
私は学生の頃から、運動能力が全くない身体だったのに「テニス」にだけ憧れていました。同年代の選手たちが世界のコートを走り回っていた頃、1990年代の私にとって、テニス観戦は娯楽のすべてでした。

<テニス・グランドスラム大会:世界4大大会> -2週間の戦い-
* 全豪オープンテニス-1月後半/オーストラリア・メルボルン/ハードコート
* 全仏オープンテニス-5月下旬-6月上旬/フランス・パリ/赤土コート(クレーコート)
* ウィンブルドン選手権-6月下旬-7月上旬/イギリス・ウィンブルドン/芝生コート(グラスコート)
* 全米オープンテニス-8月末-9月上旬/アメリカ・ニューヨーク/ハードコート

ある時期、私の生活はプロテニス界の最新情報追跡や番組録画に“振り回されて”いました。それほど熱中してきたのに、いつの間にか興ざめして「基本的衣食住以外の道楽を、音楽一本に絞る!」と宣言するようになった自分がいる。はまり出したらとことんまで行く「凝り性」タイプなので、見切りをつけたら未練も残さないのか。

最近新たな活動が注目されているクリス・レアですが、『TENNIS』を含む初期のアルバムはあまりヒットしなかったようで、タイトル・ナンバーの曲さえ日本語訳詞サイトに出てきませんでした。(唯一あったのは、意味の通らない機械翻訳のみでした。)

«Tennis» by Chris Rea <歌詞URL

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SC

Author:SC
とにかく音楽が大好き。クラシック・ポピュラーのCDで自室を埋め尽くしています。

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