スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

愛燦燦

Hakushu_Rain_2  Hibari_Shining_Love

愛燦燦』 (歌:美空ひばり/作詞・作曲:小椋佳) <歌詞URL

愛燦燦』(あいさんさん)-国民的歌手・美空ひばりさんが1986年5月29日、49歳の誕生日にシングル盤を送り出した名作です。シンガー・ソングライターの小椋佳さんが生み出したこの曲は、ひばりさんの新境地を示す転換点となりました。

1970年代から1980年代前半にかけて、ひばりさんは公私両面で多くの苦難を経験しました。マスメディアからの激しいバッシングに遭い、シングル盤レコードの売上枚数も、以前ほど伸びなくなったそうです。彼女自身も肉親との相次ぐ死別に見舞われ、1981年7月29日に辣腕のマネージャーであった母親の喜美枝(きみえ)さんを失い、1983年10月24日に上の弟・哲也さん、1986年4月1日に末の弟・武彦さんが世を去りました。
1986年の春、そんな彼女のもとに新しい仕事の依頼が入ります。小椋佳さんが「味の素」TVCMソングとして書いた最新作『愛燦燦』の歌い手に、50歳代に近づきつつあった美空ひばりさんを指名したのです。

最近の文献資料によれば、ひばりさんは『愛燦燦』のレコーディングに臨む前に、とりわけ「言葉の勉強」に力を入れて猛練習を積んだそうです。少女時代からスター歌手として多忙な年月を過ごしてきたため、人の寝静まった夜中に、よく知らない言葉を辞書で調べて書き取る練習を行っていました。新曲を覚える練習の時は、愛用のラジカセで「作曲者が自分の声で歌ったテープ」を繰り返し聴いたそうです。
こうして録音が行われた『愛燦燦』のシングル盤は、久しぶりに好調な売れ行きを記録し、ひばりさんは若い世代からの新しいファンも獲得しました。

美空ひばりさんが亡くなった後は、作者の小椋佳さんも『愛燦燦』をセルフカバーでいっそう頻繁に取り上げるようになります。歌の発表から21年後、2007年のNHK紅白歌合戦では、小椋佳さんが美空ひばりさんの生前の映像をバックに『愛燦燦』を“デュエット”で歌ったパフォーマンスが大きな話題を呼びました。

<本記事の参考文献>
・新井恵美子著『美空ひばり 神がくれた三曲』107-114ページ(北辰堂出版、2009年3月刊)
スポンサーサイト

YOU LIGHT UP MY LIFE

You Light Up My Life》(ユー・ライト・アップ・マイ・ライフ)-このタイトルは「あなたは私の人生を照らしてくれる」という意味。ところが、この作者は“自分の人生を照らす”ことに失敗したのでしょうか。
この曲で1977年度グラミー賞・最優秀楽曲賞やアカデミー賞歌曲賞など、多数の音楽賞を総なめにした作曲家のジョセフ・ブルックス氏が、数々のスキャンダルの果て、5月22日にニューヨークの自宅アパートで自殺したと報道されました。(記事URL

1977年に製作された映画「You Light Up My Life」は、ジョセフ・ブルックス氏が製作・監督・脚本・音楽を担当したもので、1978年3月の日本公開で「マイ・ソング」と呼ばれました。映画の主演女優はディディ・コーン(Didi Conn)さんですが、デビー・ブーンさんが同名の映画主題歌を大ヒットさせ、全米のビルボード・チャートで10週連続1位を記録したことから、歌の日本語題名は「恋するデビー」と名づけられたそうです。(映画情報:MovieWalkerallcinema/考察:Gospel in Rock
デビーの父親であるパット・ブーン氏も《Love Letters In The Sand》(砂に書いたラブレター)などの大ヒット曲を残しています。

その後も《You Light Up My Life》は多数のカバー版が広まり、日本の斉藤由貴さんも「恋するデビー」を歌ったことがあるそうです。

«You Light Up My Life» by Debby Boone <歌詞URL日本語訳例

長良川艶歌

Nagaragawa_Love_Affair_1  Nagaragawa_Love_Affair_2

長良川艶歌』 (歌・五木ひろし/作詞・石本美由起/作曲・岡千秋) <歌詞URL

長良川艶歌』(ながらがわえんか)は1984年の「第26回日本レコード大賞」受賞曲。歌手の五木ひろしさんは1973年の『夜空』(作詞・山口洋子/作曲・平尾昌晃)以来、11年ぶり2度目の受賞。作詞家の石本美由起さんは、1983年の『矢切の渡し』(歌・細川たかし)に続く2年連続受賞の快挙を達成しました。

長良川は木曽川(きそがわ)揖斐川(いびがわ)とともに、濃尾平野を流れる「木曽三川」(きそさんせん)のひとつであり、主に岐阜県内を流域としています。私はすぐ隣の愛知県育ちですから、小学校の社会科で郷土の地理を習った時、先生からいろいろな話を教わったはずなのに…小さい時から地理はあまり得意ではなく、今はほとんど忘れてしまった感じです。(長良川を知ろう→様子→地図
そんな私でも覚えているのは「長良川河口堰」(~かこうぜき)の建設の是非をめぐって、長年に及ぶ論争が続いたことです。『長良川艶歌』がヒットした1984年当時、河口堰はまだ建設中でした。
ヒット演歌に多いテーマのひとつ-男女の一夜限りの恋愛が、長良川を背景に繰り広げられます。

ホルストの「惑星」

Planet_Jupiter   Carpenters_A_Song_For_You_1

♪Every day I listen to my heart ひとりじゃない…♪ (歌詞URL
女性歌手の平原綾香さんが歌う日本語歌詞で人気の高い《Jupiter》(ジュピター)。原曲はイギリスの作曲家グスターヴ・ホルスト(1874年9月21日-1934年5月25日)による組曲『惑星』の第4曲です。
全7曲構成による組曲『惑星』作品32は、第1次世界大戦の戦時中であった1914年-1916年にかけて作曲が行われました。太陽系にある惑星のうち、最も遠い「海王星」の発見は1846年でした。ホルストが組曲を書き上げてから十数年後、1930年に発見された「冥王星」は、ごく最近になって「惑星」の定義に当てはまらないことが分かったそうです。(あすとろけい・冥王星降格

最も有名な第4曲「木星」は、ローマ神話の主神・ユピテル(ギリシア神話の最高神・ゼウスと同じ)から命名された星にふさわしく、壮麗な音楽として初演当時から高い人気を保ってきました。作曲者ホルストは「木星」の音楽に「快楽をもたらすもの」(快楽の神)という副題を与えました。楽曲は「A-B-A」の単純な3部形式で書かれています。中間部(B)の旋律を、平原綾香さんが日本語詞で歌っているわけです。

グスターヴ・ホルスト:組曲『惑星』作品32> (全7曲構成)
1.火星-戦争をもたらすもの (Mars, the Bringer of War)
2.金星-平和をもたらすもの (Venus, the Bringer of Peace)
3.水星-翼のある使者 (Mercury, the Winged Messenger)
4.木星快楽をもたらすもの (Jupiter, the Bringer of Jollity)
5.土星-老年をもたらすもの (Saturn, the Bringer of Old Age)
6.天王星-魔術師 (Uranus, the Magician)
7.海王星-神秘をもたらすもの (Neptune, the Mystic)

きょうは5月25日グスターヴ・ホルストの命日。59歳8か月での死因は出血性胃炎でした。
それでは、ホルストの最高傑作として名高い組曲『惑星』の第4曲「木星」を、アメリカ人の名指揮者であるジェームズ・レヴァイン氏の演奏でお楽しみくださいませ。

生きてゆこうよ

Aya_Wants_To_Live_1  Aya_Wants_To_Live_2

1988年5月23日-最も有名な闘病日記『1リットルの涙』の著者、木藤亜也(きとう・あや)さんが脊髄小脳変性症(せきずいしょうのうへんせいしょう)との闘いに力尽きた日。わずか25歳10か月の若さでした。
これはあまりにも個人的な話ですが、私は亜也さんが1年間しか通えなかった高校の「お隣の学校」に電車通学していました。『1リットルの涙』の初版が1986年2月に発行された後、高校2年生になった私も学校の図書館で“お隣の学校から来た本”の初版本を読みましたが、内容があまりにも凄絶で、長年の間「自分の蔵書」として買い求める勇気がありませんでした。20年近い時を経て、2005年秋のテレビドラマ化沢尻エリカさん主演)をきっかけに、ようやく購入した本。じっくり時間をかけて読むと、亜也さんのひたむきで誠実な人柄が、本の全体から生き生きと伝わってきました。

わたしは何のために生きているのだろうか
亜也さんが20歳の時、不自由な手で書いた質問。これを契機に、母親の潮香(しおか)さんが長女の日記を原稿用紙に書き写し、こうして『1リットルの涙』が1冊の本になりました。
1986年2月に初版本が完成した時、亜也さんは23歳でしたが、それから2年後の1988年5月23日に25歳10か月で亡くなりました。日本全国で増え続けていた愛読者たちは、亜也さんが自分の手で日記を書けなくなってから、亡くなるまでの間にどんな事があったのかを知りたがりました。それに応じて、潮香さんは長女の1周忌に合わせる形で「いのちのハードル-『1リットルの涙』母の手記」という本を書きました。

木藤潮香さんの本「いのちのハードル」は全5章から構成され、第4章「素晴らしい出会い」の中には5人の方が登場します。最後に出てくる人が、シンガー・ソングライターの笠木透さんでした。同書の221-224ページ(エフエー出版刊)には、三重県の「劇団四日市」が『1リットルの涙』を上演した時、笠木透さんが劇のテーマソングとして作った曲『生きてゆこうよ』と『私は何のために生きているの』の歌詞と楽譜が収められています。(幻冬舎刊の文庫本では、ページの数字が異なります。)
私が検索をかけた範囲内では、この2曲は録音の形で残っていないようです。やむなく(?)ドラマのオープニングテーマであった歌を“代わりに”載せておくことにします。

Only Human』 (歌:K/作詞:小山内舞/作曲:松尾潔・田中直) <歌詞URL

木藤亜也さんの詩《生きてゆこうよ》> (『1リットルの涙』184-185ページ・エフエー出版刊)

生きてゆこうよ
青空を思い切り吸い込んでみたい
クールミンツのさわやかな風が そっと頬を撫でるだろう
あなたの澄んだ瞳に映る 白いちぎれ雲
夢見てたの 素晴らしいこのひとときを……

青空に向かって思いきり 飛び上がってみたい
コバルトブルーの羽衣が ふんわり包んでくれるだろう
醜いなんて思わずに どこかで役立つことを ひたすら信じて

わたしはどこへ行けばいい?
一人でヒィーヒィー泣くだけだから
どこでもノートがお友だち
何も答えてくれないけど、書けば気持ちだけでも晴れてくる
求めているんだよ 救いの手を
だけど届かないし 逢えもしない
ただ暗ヤミに向かって 吠えるわたしの声が響くだけ
猿から人へ進化するのに すごく長い年月がかかった。しかし 退化していくのは早い……

若者たち

Last_Words_To_You  Message_To_Youths

若者たち』 (歌:ザ・ブロードサイド・フォー/作詞:藤田敏雄/作曲:佐藤勝) <歌詞URL:12

♪君の行く道は 果てしなく遠い…♪
私が中学校に入学した時、最初に音楽の教科書で習った歌が『若者たち』でした。ほとんどの子がこの年頃に「変声期」(声変わり)を迎え、とりわけ男の子たちには大変な時期です。
♪だのに~なーぜ~ はをく~いしーばーりー…♪ (1番途中) この部分で「し」と「ば」の間が1オクターブ飛躍するところを、授業で何度も繰り返し練習させられました。教科書の楽譜は、一番簡単なハ長調(シャープ・フラットなし、C major)で書かれていたので「ミレド~ドド → ドードー」となるわけです。
こうして「ザ・ブロードサイド・フォー」のオリジナル4部合唱を聴くと、中学校の「味気ない」だけだった音楽授業を思い出します。オリジナル版の調性は、変ロ長調(フラット2つ、B-flat major)で歌われています。

若者たち』はもともと、1966年に放映された同名のフジテレビドラマ主題歌として書かれ、間もなく映画化も行われました。(テレビドラマデータベース
ザ・ブロードサイド・フォー」は、黒澤久雄さん(黒澤明監督の息子)・鶴原俊彦さん・横田実さん・山口敏孝さんの4人で結成したフォークグループです。しかし、リーダーの黒澤久雄さんが『若者たち』のヒット直後にアメリカへ留学したため、グループは1966年秋に解散したそうです。

♪空にまた 陽が昇るとき/若者はまた 歩きはじめる…♪
多くの若者たちを勇気づけてきた、最後の結びの歌詞。このフォークソングの名曲が、これからの若者たちにも末長く歌い継がれてほしい…と願うばかりです。

2000 WATTS

福島第一原発爆発事故は今なお収束の見通しが立たず、過酷な状況が続く中で、ついに日本政府が中部電力の管轄内にある浜岡原発に運転停止を要請しました。こうなると、すぐ隣の県に住む私にとっても「節電」はいよいよ身近な、緊迫した問題になりそうです。真夏の酷暑の日に、冷房の使用量を自分でコントロールできるだろうか。ブログ記事の下書きをする時でさえ、PCの消費電力を気にするのでしょうか。私はエアコン・パソコンともに、かなりのヘビーユーザーなのです(大恥覚悟)。

そういえば、一番身近なところに「電力」を用いた曲名がありました。マイケル・ジャクソンさんの生前最後のオリジナル・アルバムになってしまった「Invincible」(インヴィンシブル、「無敵」の意)の第9曲『2000 Watts』(2000ワット)-1ワット(Watt, W)とは「電力」を示す単位です。
このアルバムは、想像を絶するほどの難産の過程を経て、2001年10月に発売されました。100曲以上にものぼった候補曲の中から、完璧主義者のジャクソンさんが絞り抜いた16曲の精鋭揃いです。
最近は洋楽のポップスを日本語で紹介する時(何も訳さず?)すべてカタカナ表記のままにするケースが大部分のようです。「Invincible」の第9曲にしても、英語の読みを単純に「トゥー・サウザンド・ワッツ」と転写表記していますが、かえって分かりにくいように感じられます(個人的意見)。

アルバム「Invincible」 (2001年10月発売:全16曲収録)
1.Unbreakable - アンブレイカブル
2.Heartbreaker - ハートブレイカー
3.Invincible - インヴィンシブル
4.Break Of Dawn - ブレイク・オヴ・ドーン
5.Heaven Can Wait - ヘヴン・キャン・ウェイト
6.You Rock My World - ユー・ロック・マイ・ワールド
7.Butterflies - バタフライズ
8.Speechless - スピーチレス
9.2000 Watts - トゥー・サウザンド・ワッツ
10.You Are My Life - ユー・アー・マイ・ライフ
11.Privacy - プライヴァシー
12.Don't Walk Away - ドント・ウォーク・アウェイ
13.Cry - クライ
14.The Lost Children - ロスト・チルドレン
15.Whatever Happens - ワットエヴァー・ハプンズ
16.Threatened - スレトゥンド

左右のステレオ・スピーカーや両耳に当てるヘッドホンなどを使うと、この曲が冒頭からステレオ音声の左右にはっきり分かれて演奏されていることが分かります。(動画サイトの音声ではいくらか難しいかもしれません。)音楽の「音域」の用語を駆使して「重低音」(Bass note)「高音」(treble)「(左右)ステレオ音声」(stereo control)…10代前半の頃に、自宅のステレオコンポで遊んでいた私には、もうたまらない言葉の連続です。やがてサビに入ると「2000ワット」(電力)「8オーム」(電気抵抗)「200ボルト」(電圧)と、電気関係の単位を駆使して「やり過ぎるとヒューズが飛んでしまうぞ」…体にエネルギーがあり余っている様子なのでしょうか。
2番の初めに出てくる「ドルビー」(Dolby)という登録商標名を見たら、私は興奮のあまり飛び上がってしまいました(この曲のように?)。ドルビー・システムとは、カセットデッキで用いられた技術で、テープ再生に伴うノイズを軽減するための装置でした。
最も注目したいのは、2番冒頭の「3D」。ジャクソンさんが生涯の最後まで関心を示し続け、あのコンサート・ツアーで用いようとした3次元映像技術が、この歌詞に出てくるのです(!!)。
曲名を「2000ワット」にしたのは、来たるべき西暦2000年期のことも念頭に置いたのでしょうか。

いわば全身から“2000ワット”(2キロワット)のエネルギー-電気関係の単位系などでは到底測りきれない-無敵の力を放ち続けてきたジャクソンさんだったのに、彼の50年間の生涯は、その底力を十分に発揮し尽くせなかった“不完全燃焼”の人生だったのでしょうか。
これから電力関係の報道で「~キロワット」の単位を見る時は、この歌を連想しそうです。

«2000 Watts» by Michael Jackson <歌詞URL日本語訳

世界の国からこんにちは

Hello_1970_Expo_OsakaMichael_Jackson_Hold_My_Hand

世界の国からこんにちは』 (歌・三波春夫/作詞・島田陽子/作曲・中村八大) <歌詞URL

キャンディーズの「スーちゃん」こと田中好子さん(4月21日死去)のお悔やみの陰に隠れて、見えにくかったひとつのニュース。スーちゃんの3日前、4月18日に詩人の島田陽子さんが81歳で亡くなられました。
世界の国からこんにちは』は、1970年に大阪で開かれた日本万国博覧会大阪万博EXPO'70)のテーマソングとして作られた歌です。毎日新聞社が歌詞の一般公募を行い、大阪府豊中市在住の主婦であった島田陽子さんの詩が選ばれて、それに作曲家の中村八大氏が曲をつけました。
当時は8社ものレコード会社が『世界の国からこんにちは』の吹き込みを競ったそうですが、三波春夫さんの歌唱が最もヒットしました。大阪万博は1970年3月14日-9月13日の開催期間中に、何と6400万人以上の来場者が訪れる大成功を収めました。

♪こんにちは こんにちは…♪ 非常に覚えやすく、世界の一体感が生き生きと伝わる歌詞。
→ ♪1970年の こんにちは/こんにちは こんにちは 握手をしよう…♪
外国の方も、この曲を通して日本語の「こんにちは」を覚えてくださった方が多いことでしょう。
私は大阪万博が開かれた時、まだ1歳の赤ん坊でした。あの会場の雰囲気は知りませんが『世界の国からこんにちは』の歌は、テレビから聞こえてくる音だったか、家にあったレコード盤かは忘れましたが、どこかで聴き覚えのある1曲でした。
それから31年後-三波春夫さん、2001年4月14日に77歳で死去。お悔やみに接した時は、彼の膨大な業績の中でも『世界の国からこんにちは』が大きく紹介されていたのを思い出します。
彼の没後10周年を忘れてしまった私が、新聞の社会面の隅っこで見つけたニュース。あの作詞を手がけた島田陽子さんの小さな訃報が、3日遅れで(スーちゃんと同時に)公表されました。

夕鶴

Night_Crane   Night_Crane

日本語オペラ『夕鶴』や6曲の交響曲(完成作のみ・第7番は未完)から『ぞうさん』『やぎさんゆうびん』などの童謡に至るまで、大小の音楽ジャンルに膨大な業績を残した作曲家・團伊玖磨氏。彼が仕事で中国を訪問していた間に、江蘇省蘇州市で客死した日-2001年5月17日から、きょうで10年を迎えます。
本ブログの過去記事では、童謡作品から『やぎさんゆうびん』『おつかいありさん』『花の街』の3曲を取り上げたことがありますが、没後10周年の命日には、日本クラシック音楽の記念碑を築いたオペラ『夕鶴』に挑戦してみようと考えました。

<2001年春・音楽界の損失> (没後10周年を迎えた音楽家たち)
* 4月7日並木路子(1921年9月30日-2001年4月7日)-日本の女性歌手。『リンゴの唄』で有名。
* 4月14日:三波春夫(1923年7月19日-2001年4月14日)-日本の男性歌手。
* 4月20日ジュゼッペ・シノーポリ(1946年11月2日-2001年4月20日)-イタリアの指揮者。
* 5月17日團伊玖磨(1924年4月7日-2001年5月17日)-日本の作曲家。本記事の題材。

夕鶴』の基盤は、もちろん日本の有名な民話「鶴の恩返し」です。劇作家の木下順二氏(1914年8月2日-2006年10月30日)が戯曲「夕鶴」を書き、それに團伊玖磨氏が音楽をつけました。
民話「鶴の恩返し」は、ある老夫婦がわなに掛かった一羽の鶴を助けた後、ひとりの不思議な女性がその家にやって来て、夜に機織りを始めます。彼女が出した条件は「決して部屋の中をのぞかない」ことでしたが…。現在はオンラインサイトでも、素晴らしい解説をいろいろ読むことが可能です。この記事では、英語訳もついた「Old Stories of Japan」にリンクしておきます。
木下順二氏が1949年(昭和24年)に発表した戯曲では、助けられた鶴とひとりの百姓が夫婦として暮らす設定になっており、鶴は「つう」百姓は「与ひょう」と名づけられています。

木下順二氏の戯曲「夕鶴」を最初に上演したのは、彼が主催していた劇団「ぶどうの会」で、つう役を演じた舞台女優は山本安英さん(やまもと・やすえ、1902年10月29日-1993年10月20日)でした。
舞台で音楽を担当した團伊玖磨氏は、これを歌劇(オペラ)の形にしたいと申し出ます。木下順二氏が出した要望は「戯曲のせりふを一語も変更してはならない」という厳格なものでした。1幕物の日本語オペラ『夕鶴』は1952年(昭和27年)1月30日に大阪の「朝日会館」で初演が行われ、それ以来日本国内外で多くの上演回数を重ねてきました。(わかる!オペラ情報館

動画サイトで『夕鶴』を検索したら、「船場deオペラ」による全曲演奏が見つかりました。動画は4部に分かれてアップロードされており、冒頭部分(動画第1部)で丁寧な作品解説が行われています。(1234
記事の最後に掲載した「つうの別れのアリア」は、夜の機織り姿を与ひょうに見られたつうが、夫に別れを告げる場面で歌われます。

日本音楽史における不滅の業績を築いた大作曲家・團伊玖磨氏に、突然の最後が訪れた日。2001年5月17日未明、彼は「日本中国文化交流協会」の会長として江蘇省蘇州市に滞在した時、ホテルでの就寝中に息を引き取り、77歳1か月の輝かしい生涯を終えました。(年譜

ベートーヴェンのメヌエット

ほとんどすべての作曲家と同じように「楽聖ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンにも、生前に自分で出版せず「作品番号」を持たない多数の楽曲がありました。そうした曲の扱いは、研究に従事する音楽学者によってまちまちですが、ベートーヴェンの場合は「WoO」(Werk ohne Opuszahl, ドイツ語で「作品番号なしの作品」の意味)という番号がつけられました。
きょうの記事は、そんな彼の生前未出版作品で、25歳ぐらいの頃に書かれたと推定される「メヌエット ト長調」(WoO 10-2)をご紹介いたします。

ほとんどの方が、1度はどこかで耳にしたような、とても愛らしい旋律の曲。作曲者があのベートーヴェンだと分かったら、彼の頑固で怖そうなイメージと違って(?)「へぇ~」の反応が返ってきそうです。
若き日のベートーヴェンは「6つのメヌエット」を管弦楽作品として書いたようですが、オリジナルのオーケストラ楽譜は失われ、作曲者自身によるピアノ編曲だけが伝わっていました。後に「メヌエット ト長調」は新たな管弦楽編曲が施されたり、ヴァイオリン独奏とピアノ伴奏の二重奏版などに編曲されてきました。
本ブログの記事では、ベートーヴェン自身によるピアノ編曲の独奏動画をご紹介いたします。

プロフィール

SC

Author:SC
とにかく音楽が大好き。クラシック・ポピュラーのCDで自室を埋め尽くしています。

最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
カレンダー
04 | 2011/05 | 06
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最新コメント
最新トラックバック
リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。