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アドルフ・グートマン

10月17日-きょうはピアノ音楽ファンにとって特別な日、フレデリック・ショパンの命日です。
生まれつき病弱な身体だったショパンは、早くから患ってきた肺結核のため、1849年10月17日に39歳という若さでこの世を去りました。この記事の題名であるアドルフ・グートマン(Adolf Gutmann, 1819年1月12日-1882年10月22日)は、ショパンの愛弟子であったドイツ人のピアニストで、師匠から「スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 作品39」の献呈を受けた人です。(フレデリック・ショパン協会公式資料
このブログでは、過去記事で「スケルツォ 第1番 ロ短調 作品20」を取り上げたことがあります。

グートマンは早くからショパンと親交を持ち、入門したのは1834年だったそうです。それ以来、グートマンショパンの愛弟子となり、師匠のすぐ近くでレッスンを受け続けました。晩年のショパン肺結核の悪化により、最大の収入源であるピアノのレッスンさえ満足にできなくなった時も、グートマンは親しい弟子としてとどまることを許され、恩師の臨終にも立ち会いました。1849年10月17日の午前2時頃、フレデリック・ショパンアドルフ・グートマンの腕の中で息絶えたとのことです。
ショパンの伝記には「グートマンは大きな体格の持ち主であった」と記述されていますが、彼がどれくらいの巨漢だったかはよく分かりません。グートマンショパンの楽譜を書き写す仕事に携わり、1839年に作曲された「スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 作品39」の献呈を受けました。

Chopin_Pupil_Model_1  Chopin_Pupil_Model_2

「スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 作品39」は不気味な導入部分をもって始まり、それから2つの主題が展開されて行きます。(形式:導入部-第1主題-第2主題-第1主題-第2主題-結尾)
第1主題を特徴づける、両手で同じ音のオクターブを連打するパッセージが「演奏がいくぶん乱暴だ」と評されることもあったグートマンの雰囲気に似合っていた、と解説されています。テンポを大幅に落とした第2主題は、ベートーヴェンの「交響曲第2番」第2楽章・第1主題といくらか似ているようにも感じられます。

「スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 作品39」はコンサートなどで演奏される機会が比較的少なく、動画サイトでもあまり多くの種類を探せませんでした。

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