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奥飛騨慕情

Okuhida_Memorial_1  Okuhida_Memorial_2

奥飛騨慕情』 (作詞・作曲/竜鉄也) <歌詞URL

岐阜県を代表するご当地ソング『奥飛騨慕情』を生み出した演歌歌手の竜鉄也さんが、2010年12月28日に74歳で亡くなられました。「盲目の歌手」が作詞・作曲を手がけた名作のシングル盤は、1980年-81年にかけてロングセラーを記録し、第14回「日本有線大賞」や第23回日本レコード大賞「ロングセラー賞」など多数の音楽賞に輝き、1981年のNHK紅白歌合戦出場も果たしました。
お悔やみを聞いた私の第一印象は「え~っ、74歳で?」彼の没年齢でした。つまり、あの曲でデビューした時はすでに44歳だったわけです。『奥飛騨慕情』は私にとって「ザ・ベストテンを見ていた頃に覚えた、最後期のヒット曲のひとつ」であり、愛知県在住者から見ても「隣の県の歌」という親近感がありました。

奈良県に生まれ、岐阜県の高山市で育った竜鉄也さんが失明したいきさつは、日刊スポーツの記事に詳しく述べられていました。彼は中学2年生の時にはしかの後遺症で左目の視力を失い、いったんは手術で回復したものの、12年後に落下物が右目を直撃したそうです。両目ともに完全失明したさんは、歌手デビュー前はマッサージ師や「流し」の仕事などで生計を立てました。新聞記事では「流し」の意味が分からなかったので、語源辞典で調べてみたところ、ギターやアコーディオンを手に流浪する「船芸人」の音楽家が由来だそうです。
奥飛騨慕情』の歌は1973年に作られましたが、数年後にレコード化の話が出た時、竜鉄也さん本人は気乗りがしなかったようです。シングル盤は1980年6月25日に発売され、有線放送などを通じてじわじわと売り上げを伸ばし、やがて1981年を代表するロングセラーになりました。

竜鉄也さんは『奥飛騨慕情』の大ヒットを得た後、1982年に美空ひばりさんの歌『裏町酒場』(作詞・さいとう大三/歌詞URL)の作曲を手がけたこともあります。ひばりさんは『裏町酒場』の歌を、1988年4月11日の歴史的な東京ドーム不死鳥コンサート」プログラムの後半演目に取り入れました。
奥飛騨慕情』から20年後、竜鉄也さんは2001年のコンサート中にくも膜下出血で倒れ、10年近い闘病生活の末に74歳で力尽きました。彼の最期の地は、あの永遠の名曲を生んだ高山のふるさとでした。

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