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真白き富士の根

Historical_Boat_Accident_Memory_1  Historical_Boat_Accident_Memory_2

真白き富士の根』 (作詞・三角錫子/作曲・Jeremiah Ingalls) <歌詞URL:12

1.眞白き富士の根 緑の江の島/仰ぎ見るも 今は涙
歸らぬ十二の 雄々しきみ霊(みたま)に/捧げ奉る 胸と心
2.ボートは沈みぬ 千尋の海原/風も浪も 小さき腕に
力もつきはて 呼ぶ名は父母/恨は深し 七里ヶ濱邊
3.み雪は咽(むせ)びぬ 風さえさわぎて/月も星も 影をひそめ
み霊よ何處に 迷ひておはすか/歸れ早く 母の胸に
4.御空にかゞやく 朝日のみ光/暗(やみ)にしづむ 親の心
黄金も寶も 何しに集めん/神よ早く 我も召せよ
5.雲間に昇りし 昨日の月影/今は見えぬ 人の姿
悲しさ餘りて 寢られぬ枕に/響く浪の 音も高し
6.歸らぬ浪路に 友よぶ千鳥の/我も戀し 失せし人よ
つきせぬ恨みの 泣く音は共々/今日もあすも かくて永久(とわ)に

1910年1月23日-神奈川県鎌倉市内にある「七里ヶ浜海岸」にて、日本の歴史に残る悲劇的な海難事故が起きました。1隻のボートが真冬の海に転覆し、乗っていた男子生徒12名全員が死亡したのです。彼らのために作られた追悼曲は、アメリカからの輸入賛美歌に日本語歌詞をつけたものでした。
事故が起きた地名から『七里ヶ浜の哀歌』と呼ばれたり、歌詞の冒頭部から『真白き富士の根』(真白き富士の嶺)と呼ばれる哀悼曲。この事故にちなんで、1月23日は「真白き富士の嶺の日」と呼ばれているそうです。
昨年1月23日は、事故からちょうど100周年の命日でしたが、私はまだ「音楽の旅」ブログの開設を考えていませんでした。記念年から“1年遅れ”となりますが、この記事で新書庫を立ち上げることにします。

ボート事故で死亡したのは、逗子開成中学校の男子生徒12名でした。事故の詳細については、逗子開成中学校・高等学校の公式サイトで調べることができ、「学校の歴史」の欄から直接「真白き富士の根」にアクセスできます。連載の形をとった公式資料の「第2回」によれば、ボート事故で遭難した12名は鳥撃ちを狙って海に出ましたが、2つの基本的な規則に違反したそうです。「箱根号」のボートも7人乗り程度の小型艇でしたが、10数名が“定員オーバー”の乗船を行い、出初式で海岸にいた消防士たちの忠告も聞かなかったそうです。
1.学生監・舎監の連署がなくてはボートを借り出すことは出来ない。
2.教師の許可があっても、教師の同乗がなくては日蔭茶屋(葉山)から大崎(小坪)を結ぶラインから沖に出てはならない。

事故が起きた1月23日から、七里ヶ浜沖の捜索活動は難航を極め、遭難者12名全員の遺体収容まで4日間もかかりました。2週間後の2月6日に行われた12名の「追悼大法会」において、鎌倉女学校の教師を務めていた三角錫子(みすみ・すずこ)の作詞による「真白き富士の根 緑の江の島…」の賛美歌が、彼女の弾くオルガンと女学校最上級生の歌唱で紹介されました。

<逗子開成中学校・高等学校ホームページ:学校の歴史「真白き富士の根」連載内容>
第1回:発端/第2回:事故の顛末・その1-事故発生/番外編:「根」と「嶺」
第3回:事故の顛末・その2-捜索活動/第4回:遭難生徒の横顔/第5回:遭難原因と学校の対応
第6回:追悼大法会/第7回:「七里ヶ浜の哀歌」と三角錫子先生-その1
番外編2:「泣くな若人」/第8回:「七里ヶ浜の哀歌」と三角錫子先生-その2
第9回:ボート遭難事故関係の遺跡/最終回:ボート遭難事故犠牲者の墓所

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作詞者・三角錫子(1872年4月20日-1921年3月12日)は、1916年(大正5年)に常磐松女学校(現・トキワ松学園)を創立した教育者として知られています。彼女は逗子開成中学校と「兄妹校」の関係にある鎌倉女学校で教えていた期間中、七里ヶ浜沖のボート遭難事故を知り、一夜のうちに賛美歌の歌詞を書き上げました。女性の地位向上を目指し、わずか48歳の若さで亡くなった彼女の生涯は「真白き富士の嶺三角錫子の生涯」(村上尋著・1992年6月刊)に詳しく紹介されています(現在は絶版)。
賛美歌の歌詞は、子供を失った親の悲しみを痛切に表現しています。(事故の遺族の中には、1度に4人の子息を失った貿易商がいました。)力尽き果てたわが子が最後に「呼ぶ名は父母」と思いを馳せ(2番)何のために財産を集めるのか「神よ、早く私もお召しください」と叫び(4番)毎晩眠れぬ夜を過ごし(5番)永遠に泣き続けるだろう(6番)…親の恨みと悲しみは、いよいよ深く募るばかりです。

外国から輸入した既存の旋律に日本語歌詞をあてがう場合、いろいろな問題が起こります。世界の民謡などで「作曲者不詳」の歌もたくさんあるし、原作者が分かっている曲でも、どこかで見失ったり…など、ほんの一部に過ぎません。『真白き富士の根』(七里ヶ浜の哀歌)の場合は、後日の綿密な調査によって原作者名と事情が判明しました。(詳しくは前述の連載「第7回」を参照のこと。)
真白き富士の根』の原曲は、アメリカの作曲家・インガルスによる《When We Arrive at Home》(我らが帰郷する時)という賛美歌だそうです。彼の名前[Jeremiah Ingalls]は、日本語資料では「ジェレマイア・インガルス」または「ジェレミー・インガルス」と表記されています(“ジェレマイア”が厳密な読みに近い)。
ジェレマイア・インガルス(1764年3月1日-1828年4月6日)とは、アメリカ合衆国が独立国家になって間もない時期に、教会音楽家として活躍した人でした。(賛美歌検索:NetHymnal

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