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豊橋駅前・ココラアベニューのマイケル・ジャクソン展にて

Entrance_MJ_Exhibition

2009年11月30日、私は豊橋駅前に新しくオープンした複合商店街「ココラアベニュー」を訪れ、午前10時から午後4時まで「マイケル・ジャクソン展」で過ごしました。かつて豊橋市内の高校に電車通学していたので、懐かしい場所でマイケルと出会うことができたのです。
[ココラアベニュー店内より:12
この会場ではいろいろなグッズ販売のほかに、彼の遺族に届く寄せ書きのスペースもありました。私は係員さんに無理を頼み、準備してきた「美空ひばりさんの紹介」を手書きで残してきました。

Dearest Michael,
On the day you passed away, I remembered the saddest day of our music history. We lost the greatest, most legendary female singer just 20 years and one day before - «June 24, 1989». Her name is MISORA HIBARI (May 29, 1937 - June 24, 1989).
Born in May 29, 1937, Hibari started her singing career soon after the end of WWII as a child star (like you). She “worked day and night” for Japanese music culture for over 40 years - endured countless difficulties, sometimes unbearable ordeals (like you). At her final illness, she “walked when not able, and fought till the end” (from «Will You Be There») - died at age 52 in June 24, 1989. Hibari's death meant “the end of Japanese postwar music history” - we've mourned over her loss for 20 years.
Most of all, her songs reached many foreigners' hearts, even sung in Japanese. Notable musicians like Harry Belafonte, Louis Armstrong, Nat “King” Cole admired Hibari. Her famous songs, only few examples:
* «Kawa no nagare no you ni» ( = Like a Flowing River)
* «Ai san san» ( = Shining Love) and more …
still deeply loved, including foreign people. Unfortunately, on your first visit of Japan for «BAD» TOUR (1987), she was already suffering from her deadly disease - had no chance to know your music.
«Japanese Skylark carried King of Pop after 20 years!!»

Now, things are getting a little bit better - someone writes inaccurate / distorted comments on you, but another person “immediately” corrects, sometimes with protest. (serious skin disorder, perfect innocence, etc.)
With love from Hibari's country - Rest in peace, Michael.
- November 30, 2009 -

(Additional message with a thick black pen)
Through our joy and our sorrow / In the promise of another tomorrow,
We'll never let you part. … For you're always … in our hearts. («Will You Be There»)
~ your voice with tears ~

(以下、日本語の訳文で紹介します)

最愛のマイケルへ:
あなたがこの世を去った日に、私は日本音楽史で最も悲しい日を思い浮かべました。「1989年6月24日」-ちょうど20年と1日前-私たちは最も偉大な、伝説の女性歌手を失いました。その人の名前は「美空ひばり」さんといいます(1937年5月29日-1989年6月24日)。
1937年5月29日に生まれたひばりさんは、第2次世界大戦の終戦直後すぐに(あなたと同様に)チャイルド・スターとして歌手活動を始めました。彼女は40年余りにわたって、日本音楽文化のために「昼も夜も働きました」(“Working Day and Night”)。その間無数の苦難に耐え、時には(あなたと同様に)耐え難い試練もありました。最後の病気を患った時、彼女は「足が立たない時に歩き、最後まで戦い抜きました」(“Will You Be There”より)-そして、1989年6月24日に52歳で亡くなりました。ひばりさんの死去は「日本の戦後音楽史の終焉」を意味する出来事でした-私たちは20年間ずっと、彼女の死を哀悼し続けてきました。
何にもまして、彼女の歌声は「日本語で歌われても」多くの外国人の心に届きました。ハリー・ベラフォンテ、ルイ・アームストロング、ナット・キング・コールなどの著名な音楽家たちがひばりさんを賞賛しました。彼女の数々の名曲は、外国人も含めて今なお多くの人々に愛され続けています。ほんのわずかな例を挙げるだけでも『愛燦燦』『川の流れのように』などがあります。しかし不運だったのは、あなたが「BAD TOUR」で初来日した1987年、彼女がすでに死の病を患っていたことです。そのため、彼女はあなたの音楽に触れる機会を得られませんでした。
日本の不死鳥・ひばりが「キング・オブ・ポップ」を連れて行った!!

今では(あなたの存命中に比べて)物事は少しずつ良い方向へと進んでいます。ある人があなたについて、不正確でゆがんだ事を書くとしても、別の人が“すぐに”時には抗議をもって訂正発言してくれます。(皮膚病のことや、完全な無実など)
「ひばりの国より」愛をこめて-マイケル、どうか安らかにお休みください。
-2009年11月30日-

<寄せ書きスペースにて、黒の太ペンで書き足したメッセージ>
喜びの時も、悲しみの時も/新しい明日に期待を寄せながら/
私たちはあなたのもとを離れません…/あなたはいつも…私たちの心の中にいるから。
(«Will You Be There») ~あなたの涙声~

注1:“Working Day and Night”はアルバム『Off The Wall』の第3曲。マイケル・ジャクソン単独作詞・作曲による。
注2:ハリー・ベラフォンテは「USA For Africa」発起人の1人で、『We Are The World』でマイケルと一緒に仕事をした。ベラフォンテの名前を最初に列挙したのは、その理由による。

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とにかく音楽が大好き。クラシック・ポピュラーのCDで自室を埋め尽くしています。

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