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夕日

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夕日』 (作詞・葛原しげる/作曲・室崎琴月) <歌詞URL

<作者プロフィール>
作詞者:葛原しげる…1886年(明治19年)6月25日-1961年(昭和36年)12月7日。広島県安那郡八尋村(現・福山市神辺町八尋)出身の詩人・教育者。『とんび』『キューピーさん』などの作詞でも知られる。箏曲家・葛原勾当(1812年-1882年)の孫として、祖父が生涯にわたって書き続けた「葛原勾当日記」を出版した。(福山誠之館同窓会神辺町観光協会
作曲者:室崎琴月(むろさき・きんげつ)…1891年(明治24年)2月20日-1977年(昭和52年)3月21日。富山県高岡市木舟町出身で、東京に「中央音楽学校」を設立した。本名は清太郎(きよたろう)という。

♪ぎんぎんぎらぎら 夕日が沈む…♪
今年・2011年は、童謡『夕日』にとって「特別な年」になります。作られた年代が1921年(大正10年)なので「誕生90周年」であり、作曲者・室崎琴月の「生誕120周年」記念コンサートが故郷の富山県高岡市で開かれました。そして12月7日、作詞者・葛原しげるの「没後50周年」半世紀の節目の命日を迎えます。

葛原しげるによる『夕日』の詩は、文教書院発行の児童文学雑誌『白鳩』1921年(大正10年)10月号に発表されました。最大の特色である「ぎんぎんぎらぎら」という表現は、当時小学校2年生だった長女の言葉からヒントを得た、と作詞者自身が後に語っています。
「きらきらは澄んでいて、ぎらぎらは濁っている。きらきらは朝日で、夕日ぎらぎら…」
その雑誌を書店で見つけた室崎琴月が『夕日』の詩に深く感動し、曲を書こうと考えました。作曲家は詩人の家を訪ねて、ひとつの提案を持ちかけます。葛原しげるの詩は「四行詩」でしたから(1番[みんなのお顔もまっかっか]/2番[まっかに染まって舞って来い]で終わる)曲の最後にもう1度「ぎんぎんぎらぎら日が沈む」の一節を繰り返したい、と相談したのです。葛原しげるは快く改作の許可を与え、こうして印象的な童謡『夕日』の歌が完成しました。

作詞者と作曲者の両方が、それぞれ自分の故郷の夕日を思い描きながら作った詩と曲。童謡『夕日』の誕生から2年後、1923年(大正12年)9月1日にあの関東大震災が起こりました。一瞬にして焼け野原になった東京の地で、当時の人々が復興を目指しながら口ずさんだ音楽の中に『夕日』の歌もありました。

葛原しげる氏は、持ち前の明るい性格から《ニコピン先生》の愛称で有名でした。これは彼のモットーであった【いつもニコニコいつもピンピン】の言葉からついたものです。音楽としては『夕日』ほど有名ではないものの『ニコニコピンピンの歌』は、あれから2年後の1923年に書かれた詩で、作曲は弘田龍太郎が行っています。
ニコピン先生》の祖父であった葛原勾当は、しげるが生まれる4年前に亡くなっていますが、盲目の箏曲家として有名な人でした。しげる自身も琴を演奏し、あの宮城道雄(1894年-1956年)とも生涯を通じて深い親交がありました。そんな背景の持ち主だったことも「どんな苦境にあっても、明るく乗り越える」信念を生み出したのかもしれません。
多くの人に慕われた《ニコピン先生》は、1961年12月7日に東京教育大学の構内で倒れ、そのまま息を引き取りました。命日の12月7日は「ニコピン忌」と呼ばれ、広島県福山市神辺町の生家前で子供たちが『夕日』の歌を合唱するそうです。今年はちょうど節目、50回目の「ニコピン忌」を迎えます。

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