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喜びの島

きょうはフランスの作曲家、クロード・ドビュッシー1862年8月22日-1918年3月25日)の「生誕150周年」記念日になります。
東京駅前のブリヂストン美術館では、開館60周年記念イベントとして「ドビュッシー、音楽と美術-印象派と象徴派のあいだで」を開催中です(展覧会案内/開催期間:7月14日-10月14日)。私はまだ自分の目で見ていないので、9月末に日帰りで行く予定を立て始めました。(順番待ちの時間って、どれくらいかかるのかな…やっぱり1泊しようかな…ただいま思案中です。)

ドビュッシーにも広範なジャンルの作品があり、管弦楽曲『牧神の午後への前奏曲』やオペラ『ペレアスとメリザンド』などで音楽史の記念碑を築きましたが、私のCDコレクションだと、どうしてもピアノ独奏曲ばかりになってしまいます。
単独で出版されたピアノ独奏曲の中でも、最も難度が高い曲といわれる『喜びの島』を、今年8月22日の題材に選んでみました。(最近記事『金色の魚こちらもどうぞ)

喜びの島』(フランス語題《L'Isle Joyeuse》)が書かれた時期は、1903年頃でした。この時期に大きく変化したドビュッシーの私生活の出来事が、現在に至るまで音楽愛好家たちの興味をそそってきました。
(後学のための参考資料:大阪教育大学紀要「C・ドビュッシー喜びの島〉伝説の真偽」論文PDF

L'isle_Joyeuse_1  L'isle_Joyeuse_2

1899年10月にクロード・ドビュッシーの最初の妻となったリリーは、パリの婦人服店でマヌカン(モデル)の仕事をする女性でした。ほぼ同じ頃、ドビュッシーラウル・バルダックという若い音楽学生に作曲を教えるようになります。1903年の秋、ラウルが作曲の先生を自宅の夕食会に招待したことが契機となって、ラウルの母親エンマ・バルダックドビュッシーが急接近を始め、間もなく深い仲になりました。
そしてついに、1904年6月にドビュッシーエンマは恋愛関係へと進みます。ドビュッシーは妻リリーを実家に送り出すと、愛し始めた別の女性エンマと2人きりで、イギリス海峡のジャージー島へ旅立ちました。夫が自分から離れたことに絶望したリリーは、4回の予告の後、10月13日にピストル自殺を図りました。
この“ダブル不倫”関係は当時のフランス社会で大騒動となり、多くの友人たちがドビュッシーのもとを離れて行きました。その問題もあり、この時期に書かれたドビュッシー音楽の傑作-ピアノ曲『喜びの島』も含む-も頭ごなしの酷評を受けることが多かったようです。

20年あまり前、私が初めて買ったドビュッシーのピアノ曲のCDは、アレクシス・ワイセンベルク氏の演奏でした(ドイツ・グラモフォン)。ドビュッシー入門者の立場で『ベルガマスク組曲』と『子供の領分』が一緒に入っているCDを探したのですが、そこで『喜びの島』や『版画』などの曲にも出会うことができました。
喜びの島』に関しては、新たなお気に入りの演奏との出会いもあり、最近はラファウ・ブレハッチさんの4枚目のCDに収められた『喜びの島』を頭出しで聴くようになりました。

それでは、クロード・ドビュッシーによるピアノ独奏曲の最高傑作『喜びの島』を、偉大なるイタリアの巨匠マウリツィオ・ポリーニ氏の演奏でお楽しみくださいませ。

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