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手袋を買いに

Fox_And_Gloves_1   Fox_And_Gloves_2

昨年「生誕100周年」を迎えた、愛知県の児童文学作家・新美南吉(1913年7月30日-1943年3月22日)の代表作のひとつ『手袋を買いに』。この作品も、説明不要なほど有名です。(青空文庫

物語の主人公は、きつね)の親子です。寒い冬がやってきて、森は雪に覆われ、子供のは初めての雪に戸惑います。お母さんはわが子に毛糸の手袋を買ってあげようと考えますが、遠い昔に人間とのいやな経験があったので、子供をひとりで町の帽子屋さんへ行かせる前に、あることを思いつきます。
町の帽子屋さんに着いた子狐は、お母さんの言いつけを間違えてしまうのですが、帽子屋さんは白銅貨のお金を見てから、子供用の毛糸の手袋を持たせてくれました。
「人間って恐くないや」うれしくなった子狐は、帽子屋さんから家への帰り道に、人間がどんなものか見てみたいと考えました。ある窓の下から、人間の母親の歌声が聞こえてきます。
ねむれ ねむれ 母の胸にねむれ ねむれ 母の手に-」
その人間の親子は、なんと「森の子狐」の話をしているではありませんか。-「それをきくと子狐は急にお母さんが恋しくなって、お母さんの待っている方へ跳んで行きました。」

Humming_Time   Humming_Time

子狐が帰り道で聞いた、人間の母親の歌声は『シューベルトの子守歌』。「歌曲王」と呼ばれる作曲家フランツ・シューベルト(1797年1月31日-1828年11月19日)が、19歳の時に書いた傑作です。
シューベルトは15歳の時、1812年5月28日に母親マリア・エリーザベトを亡くしました。彼は11歳でウィーンの寄宿学校「コンヴィクト」に入学し、親元を離れて寮生活を送っていたので、声変わり(変声期)と同時に訪れた母親の死は、とりわけ大きな痛手だったでしょう。亡き母親を思う『子守歌』は、その4年後に書かれました。
新美南吉も4歳で実母・りゑを亡くし、6歳の時に継母・志んを迎えますが、8歳でりゑの実家・新美家へ養子に出されるなど、母親を恋しがる幼少時代を送った人でした。20歳の時に書いた『手袋を買いに』の作品中、南吉子狐の帰り道に配置した音楽は、同じような背景から生まれた『シューベルトの子守歌』以外には考えられないでしょう。

♪ねむれ ねむれ 母の胸に…♪
この名訳を生んだ内藤濯氏(ないとう・あろう、1883年7月7日-1977年9月19日)は、熊本県出身のフランス文学者で、サン=テグジュペリ作『星の王子さま』の翻訳者として有名です。(評伝
ここで驚いたのは「フランス文学者が、どうやってドイツ歌曲を翻訳した?」意外な結びつき。職業として文学者・翻訳者を志すような人は、何か国語にも堪能な秀才が多いものです。
内藤濯氏が『シューベルトの子守歌』に接したのは、彼がまだ旧制第一高等学校「文科丙類」(フランス語を第一外国語として学ぶ)に在学中、通っていた教会の讃美歌集からだったようです。

シューベルトの子守歌』 (日本語詞:内藤濯/作曲:Franz Schubert) <歌詞URL:12

別の話ですが、今年1月31日は、戦後日本を代表する作曲家・芥川也寸志氏の「没後25周年」節目の命日です(1925年7月12日-1989年1月31日)。
1989年1月7日の「昭和天皇崩御」により、1月8日からの翌日改元で「平成」の代に変わり、日本の歴史が新時代に入った年。天皇陛下崩御の月のうちに、芥川也寸志氏の訃報が入りました。
こちらの関連記事も考えましたが、私ではやはり無理でした。彼の作曲で、幅広く親しまれている曲はどれだろうか-有名な「森永製菓」コマーシャルソング『エンゼルはいつでも』を、最後に入れておきます。

エンゼルはいつでも』 (作詞・サトウハチロー/作曲・芥川也寸志) <歌詞URL

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