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ロヴロ・フォン・マタチッチ

1985年(昭和60年)が明けて間もなく、最初に入ってきた音楽家のお悔やみは、私が以前から関心を寄せていたユーゴスラビアの長老指揮者でした。
「…ロヴロ・フォン・マタチッチ氏が4日、ザグレブで死去した。85歳。」
このニュースに接した時、私は高校受験準備の大詰めを迎えていました。何年か後、この指揮者が最後の来日公演で指揮した、アントン・ブルックナー作曲《交響曲 第8番 ハ短調》のライブ録音を聴き始めたことから、マタチッチ氏は私にとって「ブルックナーへの扉を開いてくれた人」となり、ここから私のブルックナーCD遍歴が始まりました。

没後30周年の節目:1985年1月没の巨匠音楽家2人>
* ロヴロ・フォン・マタチッチ(1899年2月14日-1985年1月4日)…ユーゴスラビアの指揮者。
* アントン・カラス(1906年7月7日-1985年1月10日)…オーストリアの作曲家。映画『第三の男』の音楽・ツィター演奏で有名。

私が初めてマタチッチ氏の名前を覚えたのは、クラシック音楽ファンになって間もなく、学校図書館で借りたガイドブックの中からでした。名指揮者たちの紹介コーナーで、カール・ベーム氏(オーストリア)が椅子に座って指揮する写真とともに「1894年生まれ」の現役指揮者として出ていました(発刊時はぎりぎり存命だったが、私が本を借りる少し前に亡くなった)。すぐ右隣にロヴロ・フォン・マタチッチ氏の名前があり、このユーゴスラビアの指揮者は「重厚な演奏で、ブルックナーを得意とする」と紹介されていました。
その少し後、私はクラシック音楽演奏家たちのエピソード集の本を買いました。NHK交響楽団の名誉指揮者であったマタチッチ氏は、愉快な逸話に事欠かない人のようでした。少年時代はあのウィーン少年合唱団に所属したけれど、指揮者として楽団員を怒鳴り続けているうちに、すっかりガラガラ声になったというのです。そのギャップの話を読んで、子供の私も吹き出すほど笑いました。
早くから興味をそそられる指揮者になった「マタチッチ氏死去」のニュースは、中学3年生の冬休みを送っていた私にも衝撃をもたらしました。まだFMラジオで彼の演奏をエアチェックしたこともないのに、彼の最も得意とした「ブルックナーを聴きたいな」という願いが、私の中に少しずつ芽生え始めました。

ロヴロ・フォン・マタチッチ氏は死の前年、1984年3月に生涯最後の来日公演を行い、名誉指揮者を務めるNHK交響楽団の指揮台に立って、自らの遺言のような演奏会を開きました。1984年3月7日にNHKホールで開かれた「ブルックナー交響曲 第8番 ハ短調」1曲だけのプログラムは、最も盛り上がった演奏会になり、開場前のNHKホールに「ダフ屋」まで出るほどの賑わいだったそうです。
高校時代の私は、とにかく勉強で忙しかったので、長大なブルックナーの交響曲は「聴いて覚える時間の余裕がない」遠い世界でした。学校の中にレコード・コレクターの先生がいらっしゃることを聞き、自分のカセットテープ(メタルテープ)を2本預けて、先生にブルックナーの交響曲第7番と第8番のダビングを依頼しました。第8番は「マタチッチN響の1984年ライブ録音」と決めていましたが、第7番はどの指揮者が録音したかさえ知らず、先生は「世間知らずの高校生」の頼みに戸惑われたことでしょう。
ようやく大学入試が終わり、熾烈な受験勉強から解放された私は、下宿先と実家を往復するバスの道中などでテープを聴き、少しずつブルックナーの交響曲第8番を覚え始めました。

Concert_Hall_Waiting_2  Matacic_Bruckner_Legacy

私がアントン・ブルックナーの交響曲に関心を持ち始めたきっかけは、何かのテレビコマーシャルで第8番の第4楽章冒頭部分に接して、重厚なサウンドにひかれた時でした。ディーゼルエンジンだっけ…?
(手がかり探し:三菱自動車・サイクロンエンジン・1986年放映-どの車種・バージョンか??)
テープを聴き始めてから、しばらくは「どこが良いか分からない」暗中模索の状態でしたが、第3楽章の崇高な美しさに聴き惚れるようになり、やがて第4楽章冒頭部の旋律までたどり着くことができました。ほどなくして、第1楽章の空漠な雰囲気や、第2楽章の無骨な面白さも分かってきました。カセットテープでブルックナーの第8番を聴く時は、A面で第2楽章を聴き終えたら、かなりの長時間を早送りして、それからやっとB面の第3楽章に入るので、相当な手間がかかります。マタチッチ氏の場合、第1・第2楽章(A面)の演奏時間が29分もかからないため、C-90(片面45分)テープを使うと、16分もの早送り時間で待たされました。
数年後にデンオン(日本コロムビア)の「マタチッチの遺産」シリーズで「ブルックナー交響曲 第8番 ハ短調」1984年ライブ録音のCD化が実現し、私もすぐに購入したのですが、LPレコード→メタルテープで聴いた時に比べたら、音質があまりにも貧弱な印象だったのが残念でした。

Cassette_Tape_RecordingsCassette_Tape_Recordings

ロヴロ・フォン・マタチッチ氏は1899年2月14日、クロアチア北西部にあるスシャクの地で、17世紀からの貴族の家庭に生まれました。彼の生涯中、祖国クロアチアはずっと歴史に翻弄され続け、誕生時はオーストリア=ハンガリー帝国の支配下に置かれ、逝去時は「ユーゴスラビア社会主義連邦共和国」の構成国家でした。
9歳でウィーンへ移ったマタチッチ少年は、やがてウィーン少年合唱団に入団を認められ、変声期に入るまで4年間合唱団員を務めた後、指揮者への道を進み始めました。第2次世界大戦の動乱期には、彼にも多くの困難があり、1954年まで指揮活動を再開できなかったそうです。それ以後の彼は「東側」を代表する名指揮者のひとりとして、東側・西側をまたいで精力的な活動を続けました。

マタチッチ氏とNHK交響楽団の出会いは、1965年にNHKが招聘した「スラブ歌劇」公演で、ムソルグスキーのオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』を指揮した時でした(公演記録)。2度目の来日公演は、1966年末-1967年明けの年末年始に行われ、1967年1月1日にN響から「名誉指揮者」の称号を授与されました。
N響名誉指揮者に就任してから、マタチッチ氏とオーケストラの間の絆はさらに深まり、1975年まで毎年のように日本を訪れて、広範囲なレパートリーを取り上げました。楽団員も聴衆も、マタチッチ氏とともに貴重な時間を過ごし、とりわけブルックナーの交響曲の演奏に深く魅了されました。
ところが、1975年11月-12月のN響定期公演終了後、マタチッチ氏の来日は途絶えました。さすがの巨匠も70歳代後半に入ると、体力の衰えを隠せなくなり、巨体を動かして歩くことさえ困難な状態に陥ったのです。
せめてもう1度、マエストロと一緒に演奏したい-N響からの要請により、マタチッチ氏は1984年3月に9年ぶりの来日公演を行いました。NHKホールに集まった聴衆も「これが最後だ」と意識し、巨匠が用意した3種類のプログラムに、ひときわ熱心に耳を傾けました。
* プログラムA:ブルックナー交響曲 第8番 ハ短調
* プログラムB:ベートーヴェン交響曲 第2番 ニ長調》/マタチッチ作曲《対決の交響曲
* プログラムC:ブラームス交響曲 第1番 ハ短調》/ベートーヴェン交響曲 第7番 イ長調

1984年3月のNHK交響楽団定期公演と、5月の「プラハの春音楽祭」出演を最後に、ロヴロ・フォン・マタチッチ氏は指揮活動を停止し、1985年1月4日にザグレブで85年の生涯を終えました。
巨匠が亡くなってから数年後に、一連の「ユーゴスラビア紛争」が始まり、巨大な社会主義連邦共和国はばらばらに解体してゆきます。1991年に勃発した「クロアチア紛争」により、クロアチアはユーゴスラビアからの独立を宣言し、現在のザグレブは民主主義国家「クロアチア共和国」の首都になりました。

動画サイト内から、1984年3月当時の生放送音源を見つけることができました。最初の5分間に丁寧な解説があって(これに貴重感あり)6分ほど経過した後「ブルックナー交響曲 第8番 ハ短調」第1楽章の演奏が始まります。


(追記) 本ブログの過去記事には「指揮者の命日」に焦点を当てたものが9本あります。
* ヘルベルト・フォン・カラヤン-2010年7月16日。(記事URL
* カール・ベームセルジュ・チェリビダッケ-2010年8月14日。(記事URL
* ジュゼッペ・シノーポリ-2011年4月20日。(記事URL
* カルロス・クライバー-2011年7月13日。(記事URL
* サー・ゲオルグ・ショルティ-2011年9月5日。(記事URL
* 朝比奈隆-2011年12月29日。(記事URL
* ギュンター・ヴァント-2012年2月14日。(記事URL
* カルロ・マリア・ジュリーニ-2012年6月14日。(記事URL
* ヴィルヘルム・フルトヴェングラー-2014年11月30日。(記事URL

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あけましておめでとうございます。
マタチッチの最後の来日と彼の死去は、丁度私がクラシックに目覚めた時期(中一)と重なるので、印象に残っています。当時彼の映像はNHKで繰り返し放送されており、ベートーヴェンとブルックナーは視聴した記憶があります。特にブルックナーは、当時のN響アワーで芥川也寸志氏による「ブルックナー・開始」「ブルックナー・リズム」「ブルックナー・パウゼ」の分かりやすい解説があり、ブルックナーに目覚めるきっかけともなりました。
84年のブルックナーのLPがあるとは知りませんでした!聴いてみたいですが、今となっては入手困難でしょうね・・・。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

Re: タイトルなし

ポンちゃんさん、こんばんは。今年もよろしくお願いいたします。

私がガイドブックを借りて読んだのは、小学校6年生の秋だったけど、N響アワーはほとんど見なかったから、今から思えば損したかな。
芥川也寸志先生が「ブルックナー・開始」「ブルックナー・リズム」「ブルックナー・パウゼ」を、分かりやすく解説してくださったんですね。
最近のクラシック音楽界には、初心者にも丁寧に教えてくれる、そういう企画が少なくなったような感じがします。

1984年盤のLPレコード、あったかな。私はあの記述の通り、先生にダビングをお願いして、それでテープを聴き始めたので。
東側の指揮者でも、ユーゴスラビアのマタチッチは、抜きん出た名匠だったな…30年を経ても、今なお懐かしいですね。
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Author:SC
とにかく音楽が大好き。クラシック・ポピュラーのCDで自室を埋め尽くしています。

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