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ローレライ

Gone_Too_Soon_Sunset  Die_Loreley

ローレライ』 (訳詞・近藤朔風) <歌詞URL:123
(Text: Heinrich Heine / Musik: Friedrich Silcher) <歌詞URL:123

♪なじかは知らねど 心わびて…♪ (『ローレライハイネ作詞/ジルヒャー作曲)
♪童は見たり 野なかの薔薇…♪ (『野ばらゲーテ作詞/シューベルト作曲・ヴェルナー作曲)
♪泉に添いて 茂る菩提樹…♪ (『菩提樹』ミュラー作詞/シューベルト作曲)
明治後期から大正初期にかけて、ドイツ歌曲を中心に「訳詞家」として活動した近藤朔風(こんどう・さくふう)が34歳11か月という若さで夭折してから、きょうは「100年目」の命日を迎えます(1880年2月14日-1915年1月14日)。
外国から輸入した歌曲の旋律に、いかにして適切な日本語の言葉をあてがい、日本人の心にも訴える形で紹介するか。きょうは朔風の名訳の中から、ハインリヒ・ハイネ作詞/フリードリヒ・ジルヒャージルヘル)作曲によるドイツ歌曲『ローレライ』《Die Lorelei》を調べてみようと考えました。

近藤朔風(本名・近藤逸五郎)は1880年(明治13年)2月14日、兵庫県豊岡市の地で、明治時代の政治家であった桜井勉(1843年-1931年)の五男として生まれました。桜井勉の業績は多方面に及び、日本各地に「気象測候所」を設置するなど、現在の日本社会の基盤を築いた政治家のひとりでした。
出生名・桜井逸五郎は9歳で母親を亡くし、13歳の時に近藤軌四郎の養子となって「近藤」姓に変わりました(近藤軌四郎の家と桜井家は、両夫妻とも最近親者の関係にあった)。錚々たる名家に育ち、中学卒業の頃から西洋クラシック音楽に関心を持ち始めた逸五郎は、東京音楽学校・東京外国語学校・東京美術学校に掛け持ちで在籍した後、堪能な語学力を生かして「訳詞家」の仕事を始めました。
ローレライ』(ロオレライ)の訳詞は、1909年(明治42年)11月発行の唱歌集「女聲唱歌」(全25曲収載/天谷秀・近藤逸五郎編/水野書店)に収められました。全25曲中14曲の訳詞を近藤朔風(文名)が自ら書き、シューベルト作曲『菩提樹』やヴェルナー作曲『野ばら』もこの歌集に取り上げられました。(「女聲唱歌」曲名一覧:うたごえサークルおけら
あまり種類が多くない参考文献を見ても、朔風の死去は突然だったようです。1915年大正4年)の正月明け早々に倒れた訳詞家は、1月14日に「面疔(めんちょう)と肝臓炎」で亡くなりました。彼の没年齢は「数え年」により「享年36歳」と記載されますが、満年齢では34歳11か月になります。
近藤朔風の墓は、東京都台東区の「谷中霊園」(やなかれいえん)内にあり、「朔風近藤逸五郎之墓」の手前に「大正四年一月十四日歿」と記載された石碑があります。(霊園写真
(主要参考資料:富山大学教育学部紀要近藤朔風とその訳詞曲再考)

♪なじかは知らねど 心わびて…♪ (近藤朔風訳詞)
19世紀ドイツを代表する大詩人、ハインリヒ・ハイネ(1797年12月13日-1856年2月17日)が詩の題材に取り上げた「ローレライ」とは、いったい何のことでしょうか。
ローレライ」(Loreley)はドイツの大河・ライン川沿いにある、高さ130mにのぼる岩山で、ドイツ南西部の都市「ザンクト・ゴアールスハウゼン」(St. Goarshausen)にそびえています。全長1200kmを超えるライン川流域の中でも、この一帯は最も川幅が狭く、航海の難所として有名でした。岩山の前で水難事故に遭う船乗りが多かったことから「ライン川の岩に住む長い金髪の妖精が、美しい歌声で船乗りたちを魅惑し、船を川の中に難破させる」伝説が広まりました。現地の古い方言から「妖精の岩」を意味する“Loreley”の名が生まれ、こうしてライン川の水の妖精にまつわる「ローレライ伝説」が語り継がれてゆきました。(当地の景観が見やすい写真は、ドイツ語サイト «Loreleystadt St. Goarshausen» にリンクしておきます。)
ハイネを代表する詩集「歌の本」は[若き悩み/抒情挿曲/帰郷/ハルツの旅から/北海]の全5部構成にまとめられて、1827年に刊行されました。「ローレライ」は詩集の第3部「帰郷」第2篇に置かれ、書かれた年代は1823年頃と考えられています。(「歌の本紹介サイト

ドイツの作曲家フリードリヒ・ジルヒャー(1789年6月27日-1860年8月26日)は、合唱作品の分野で多大な業績を残した人で、1838年に合唱曲《Die Lorelei》の旋律を書きました。彼の姓は、昔の日本語資料では「ジルヘル」と表記されていましたが、現在は「ジルヒャー」の読み方が最も普及しています。


(ドイツ語の原語歌唱。これも今なお広く歌われている)

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日本語にはない音の「ローレライ」
美しい響きですね

おもわず「なじ」を辞書で調べましたv-407

ローレライ、野ばら、菩提樹、どれも全て諳んじている歌詞なのに、これら全てこの人の訳詩だったとは知りませんでした。
どれも小学校から中学にかけて、ところどころ文語体でよく分からないまま歌ってました。
いつもながら作者や曲にまつわる話、とても面白く読ませてもらいました。

Re: タイトルなし

arisonさん、こんにちは。いつもありがとうございます。

ドイツ語の音の響きに憧れて「大学生になったら、第2外国語でドイツ語をやりたい」と考えていました。
日本語の文語体は(今から考えると)ちょっと難しい言葉が多いですね。
「なじか」は知らねど→「なぜか」は分からないが。「なじ」かは何だった??

Re: タイトルなし

nonkig3さん、こんにちは。いつもありがとうございます。

近藤朔風は、あまりにも若くして亡くなったこともあり「人物像」の分かる資料が、意外と少ない人でした。
訳詞が素晴らしくて、ずっと歌い継がれてきたから、それで彼の名前も生き残ってきた感じですね。
『菩提樹』は1月31日、記事化の予定を入れています(作曲者の誕生日・歌曲集『冬の旅』第5曲として)。

34歳。訳詩者は、若くして亡くなられたいたのですね。

「ローレライ」「野ばら」「菩提樹」、
素晴らしい歌詞だと思っていました。
この気品を感じさせる日本語の歌詞を歌うのが大好きでした。

3曲とも、メロディも素晴らしいです。

Re: タイトルなし

alf'smomさん、こんばんは。いつもありがとうございます。

私の文章力が足りなくて、近藤朔風の素晴らしさを、うまく伝えきれませんでした(残念)。
彼の訳詞は、原語の意味を忠実に反映しながら、日本語の言葉も美しく歌わせる、たぐいまれな人でした。
基本資料(富山大学論文)を見たら、彼は34年間の短い人生のうちに、想像以上に広範囲な訳詞を手がけたようです。

こうなったら、1月31日は『菩提樹』の日ですね。シューベルトと近藤朔風、2人とも夭折の天才だった…。

ローレライ、外国の歌の中の大好き曲のベストテンに入る歌です。
メロディと歌詞が見事に融合されていて、何十回いや何百回唄っても聞いても心が癒されますよ!

Re: タイトルなし

ゆくさん、こんばんは。いつもありがとうございます。
1月後半は、たぶん「ゆくさんしか分からない」(?)ような曲を、いくつか下書き構想中です。
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Author:SC
とにかく音楽が大好き。クラシック・ポピュラーのCDで自室を埋め尽くしています。

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