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シャボン玉

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シャボン玉』 (作詞・野口雨情/作曲・中山晋平) <歌詞URL:123

シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ/屋根まで飛んで こはれて消えた
シャボン玉消えた 飛ばずに消えた/生まれてすぐに こはれて消えた
風 風 吹くな シャボン玉飛ばそ

日本の「童謡」文化を築き上げた不世出の大詩人・野口雨情が、太平洋戦争の終戦直前に62年の生涯を終えてから、ちょうど70年の歳月が過ぎました(1882年5月29日-1945年1月27日)。
今年は「戦後70年」の話題がたくさんありますが、日本の音楽界でも、詩人・野口雨情と作曲家・本居長世が同じ1945年に世を去っています。雨情の詩に音楽をつけた作曲家では、中山晋平本居長世のふたりが多くの傑作を残しました。
きょうの題材は『シャボン玉』(作曲・中山晋平)で、1922年(大正11年)11月に雑誌『金の塔』(発行・大日本仏教子ども会)に寄稿したものです。
(間違えやすい点:野口雨情が編集長を務めた雑誌『金の船』ではありません。)

シャボン玉で遊ぶのは、幼き日の私も好きでしたが「屋根まで飛ぶ」ところまではいかず、何度やっても形にならなくて「飛ばずに消える」感じでした。屋根まで飛んで行くほどのシャボン玉を作れる人は、きっと肺活量が大きいんだろうな。
野口雨情の時代にも、子供たちが普通にシャボン玉遊びをしていたので、当時のシャボン(石鹸)は一般的な家庭用品であったことが分かります(この点の詳細は後述)。
この詩の中で『シャボン玉』は何を意味するのだろう。2番の歌詞 ♪生まれてすぐに~♪ と詩人の家庭生活を重ね合わせて、これは「幼くして失った愛娘への鎮魂歌だ」という見解が広まりましたが、果たして本当にそうなのでしょうか。

Shabondama_2Shabondama_2Shabondama_2

野口雨情の生涯:家庭生活と子供たちについて>
野口雨情は生涯に2度の結婚歴があり、総計12人の子供をもうけました。最初の妻・高塩ヒロ(結婚期間:1904年-15年)との間には3人の子供(1男2女)がいましたが、1908年3月に長女・みどりを生後8日で亡くしたことがあります。
1918年に再婚した中里つるとの間には、総計9人(2男7女)の子供が生まれました。この結婚では四女・恒子を早く亡くしましたが(1921年11月17日-1924年9月23日/2歳10か月)『シャボン玉』の詩の発表は1922年11月ですから、この子の死とは関係ありません。(野口雨情詳細年譜
雨情の家庭に限らず、当時の日本は「幼児死亡率」がまだ高い時代でした。親はどの子供にも変わらぬ愛情を注ぎ「ずっと長生きしてほしい」と願うものです。
いずれにしても、シャボン玉ははかなく消えやすいもの。雨情自身はこの詩について、何も述べていないので「~の見方もできる」聴き手はいろいろな情景を思い浮かべることができます。

シャボン(石鹸)の歴史:日本への伝来と普及について>
シャボン」(sabão)はポルトガル語の単語で、戦国時代後期、16世紀にポルトガル船との「南蛮貿易」を通して紹介されたそうです。昔の石鹸は貴重品でしたが、明治時代になってから、日本にも国産石鹸の工場が建ち始め、一般家庭でも石鹸を使えるようになりました。(ああ我が心の童謡
あの有名な商品名「ママレモン」のような、液状の家庭用食器洗剤が普及すると、水で薄めるだけでシャボン玉遊びの液も作れるようになり、さらに手軽になったでしょう。

野口雨情は1926年(大正15年)6月に出版した童謡集「螢の燈台」の序文で、童謡とは「童心から生発する言葉の音楽であり、自然詩である」と述べました。詩人が20年ほど住んでいた北多摩郡武蔵野村(現・東京都武蔵野市)吉祥寺の自宅には、彼自身が「童心居」と命名した書斎があり、その部屋で詩作活動に没頭していました。(「螢の燈台青空文庫
1943年2月から病床についた野口雨情は、彼がこよなく愛した「童心居」の書斎を離れ、戦火を避けて栃木県河内郡姿川村鶴田(現・宇都宮市鶴田町)に移りました。彼は太平洋戦争の終結を見ることができず、1945年(昭和20年)1月27日に疎開先の鶴田の家で亡くなりました。

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この歌、野口雨情が幼くして死んだ娘に思いを寄せて作った、という逸話を聞いてなるほどと思ったものでしたが、かなり子沢山な人だったんですね。
わが子の死を悲しまないはずはありませんが、「生れてすぐに こわれて 消えた」という歌詞にそんな思いをこめていたかどうか、やはり分かりませんね。

Re: タイトルなし

nonkig3さん、こんにちは。いつもありがとうございます。

いつ頃からか分からないけど、テレビ番組がきっかけで「生まれてすぐに→鎮魂歌」説が広まり出したそうです。
テレビの影響力は、良くも悪くも、ほんとうに恐ろしいなあ。ほとんどの視聴者は、テレビを鵜呑みにするから。
(野口雨情の年譜を見たら、最後の子供(末っ子)は1938年生まれだそうで、56歳の時にもうけた子供だったとか。)

私は子供の頃、わざわざシャボン玉用の液を買ってもらって、それで遊んだような記憶があります。
今は液体の食器用洗剤が主流だから、シャボン玉で遊ぶのも簡単になったでしょうね。

これも子どもの頃よく歌いました。
大正時代に作られた歌だったのですね。
シャボン玉を飛ばしながら歌っていたような気がします。
後になって、幼くして子どもを亡くした悲しみや無常感が歌われているように
聞いていましたが、本人がそう述べていた訳ではないのですね。

そんなにたくさんの子どものお父さんであることは知りませんでした。

野口雨情。たくさんの抒情的ないい詩を残されていますね。

Re: タイトルなし

alfmomさん、こんばんは。いつもありがとうございます。

詩人・野口雨情の絶頂期といえば、大正後半から昭和初期なんですね。
彼の出世作『十五夜お月さん』はあまりにも切なくて、昨年9月に書き損ねてしまいました。
『十五夜お月さん』や『赤い靴』などは、文字通り悲しい歌だから『シャボン玉』もそんな解釈が広まったんだろうか。

私も子供の頃は、シャボン玉遊びが好きだったな。うちの両親が、専用の液を買ってくれたっけ。
わが家は長い間、粉末石鹸で食器も洗っていたから「ママレモン」のある家がうらやましかったです。
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