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ヘルベルト・フォン・カラヤン

1989年7月16日。この日、クラシック音楽界における「黄金時代の終焉」を告げる知らせが訪れました。
7月17日(月曜日)の新聞朝刊第1面に、太い見出しで載った「カラヤン氏死去」のニュース。多年にわたって「クラシック音楽の帝王」と呼ばれ、20世紀後半をリードしてきたオーストリアの指揮者です。
ヘルベルト・フォン・カラヤン:1908年4月5日生まれ-1989年7月16日死去、81歳没]

ヘルベルト・フォン・カラヤン氏は1908年4月5日、日曜日の夜遅い時間にオーストリアの古都ザルツブルクで生まれました。この街は「天才ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756年-1791年)の生誕地として名高い都市です。ヘルベルトは2人兄弟の次男で、2歳年上の兄ヴォルフガング(1987年没)はオルガン演奏者になり、2人の兄弟は小さい頃から音響技術に深い関心を持っていました。
カラヤン氏が活動した期間中には、音響再生技術の目覚ましい進歩がたくさんありました。最初はSPレコード(78回転)から始まり、1950年代からLPレコード(33回転)が普及して、1970年代後半に「デジタル録音」の技術が発明されます。コンパクト・ディスク(CD)が世界に初登場したのは1982年でした。この時「ベートーヴェンの第9交響曲が片面に入るように」カラヤン氏が74分の標準収録時間を提案した、という逸話は広く知られています。彼の存命中、映像技術はレーザーディスク(LD)まで進みましたが、残念ながらDVDの発明はまだ遠い先の話でした。

Magical_Maestro_ScoreMagical_Maestro_ScoreMagical_Maestro_Score

私の家には、父親が遠い昔に買い求めた「カラヤン・五大交響曲集」のLPレコードがありました。録音はいずれも1960年代に行われたもので「帝王カラヤン」絶頂期の金字塔です。
* ベートーヴェン:交響曲第5番 ハ短調 作品67『運命』
* シューベルト:交響曲第8番 ロ短調 D.759『未完成』
* ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14
* チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 作品74『悲愴』
* ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 作品95『新世界より』
父親の一番のお気に入りはドヴォルザークの『新世界交響曲』で、私がクラシック音楽に本格的な関心を持ち始める前から、時々LPプレーヤーにかかっていました。

12歳の時からベートーヴェンの交響曲に関心を持ち始めた私は、家にあるカラヤン指揮の第5番『運命』を聴きながら、LPレコードセットの解説書も熱心に読みました。他には交響曲第6番『田園』のLPがあり、それは別の指揮者の演奏でした。この次は交響曲第3番『英雄』を聴きたい。そこで家族に頼んでレコードを探しに行き、おぼろげな勘で選んだ1枚がレナード・バーンスタイン指揮の演奏(1978年録音)です。これが決定的な出会いとなって、私はバーンスタイン氏の大ファンになり、自分からカラヤン氏の演奏をFMラジオのエアチェックで録音しなくなりました。

LP_Player_MasteringLP_Player_Mastering

ヘルベルト・フォン・カラヤン氏は1955年からベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の「終身常任指揮者」を務めていましたが、1980年代に入る頃から指揮者とオーケストラの関係が悪化し始めます。当時のクラシック音楽メディアは、読者の注意を引くために“ポストカラヤン”(カラヤン)の話題を頻繁に取り上げるようになり、10代の私も面白おかしく脚色された話を読み漁ったものです。1989年4月24日、81歳を迎えたカラヤン氏は「健康上の理由により」自らベルリン・フィルの音楽監督辞任を表明しました。
辞任表明から3か月後、1989年7月16日の正午過ぎに訪れた突然の最期。その朝も、カラヤン氏は自宅のベッドに横たわりながら、ソニー社長の大賀典雄氏と将来の録音計画を話し合っていたそうです。

カラヤン氏がこの世を去った1989年は、世界史にも残る激動の年でした。最大の劇的な変化は、何といっても東ヨーロッパ各国で起きた共産主義崩壊でしょう。カラヤン氏が音楽監督を務めていたベルリン・フィルの本拠地「フィルハーモニー・ホール」は、1961年8月に建てられたベルリンの壁の影響を直接受けた場所です。1956年からフィルハーモニー・ホールの建設計画が始まり、カラヤン氏は全ベルリン市の中心になる場所にホールを建設していましたが、途中でできたのために、1963年に完成したホールは「西ベルリン」東側のはずれの位置になってしまいました。ドイツ東西分断の象徴であり、冷戦の象徴でもあったベルリンの壁が崩壊したのは、1989年11月9日の出来事です。カラヤン氏は7月16日に亡くなったため、4か月の差で「ベルリンの壁崩壊」の歴史的瞬間を見ることができませんでした。私が壁崩壊のニュースを聞いた時、真っ先に考えたことは「カラヤンが見られなかったね」地団駄を踏んで悔しがる(?)誇り高き帝王の姿の想像でした。

音楽界でも「帝王カラヤン死去」の3週間前、6月24日に壊滅的なニュースが入りました。日本の戦後音楽文化を築いた女性歌手の美空ひばりさんが、52歳という若さで亡くなったのです。
日本独特の元号制度により、1989年1月7日に昭和天皇が崩御されたため、60年以上続いた「昭和」時代が幕を閉じ、翌1月8日から「平成」の代に変わりました。平成元年になってから半年足らず、6月24日に訪れた「美空ひばりさん死去」の知らせは日本全国を激震させ、昭和の終わりを象徴づける出来事と呼ばれました。ひばりさんは単なる「日本歌謡界の女王」の枠にとどまらず、ジャズなども自由自在に歌いこなし、クラシック音楽史に残る歴史的な名歌手にも全く引けを取らない力量の持ち主でした。1989年の夏に訪れた「ひばりカラヤン」の相次ぐ死去は、まさしく「一大音楽文化の終焉」を意味する出来事になりました。(過去記事

周囲にクラシック音楽ファンが少ない環境だと、いくら「大ファンなのはバーンスタインだけど、カラヤンも尊敬している」私でも、大好きなものを熱く語る機会がほとんどありません。あれから21年の歳月が流れ、私の情熱はどこへ行ってしまったのだろう。今ではヘルベルト・フォン・カラヤン氏の名前を思い出す時、ほとんどいつも「ひばりカラヤン」のセットで考えている自分に気づきます。今年もそんな不完全燃焼のままで、私は7月16日の思い出を振り返ることでしょう。

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