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赤い靴

Red_Shoes_Sample  Red_Shoes_Model_1

赤い靴』 (作詞・野口雨情/作曲・本居長世) <歌詞URL

1.赤い靴 はいてた 女の子/異人さんに つれられて 行つちやつた
2.横浜の 埠頭(はとば)から 船に乗つて/異人さんに つれられて 行つちやつた
3.今では 青い目に なつちやつて/異人さんのお国に ゐるんだらう
4.赤い靴 見るたび 考へる/異人さんに逢ふたび 考へる

「作詞・野口雨情/作曲・本居長世」のコンビは『七つの子』『青い眼の人形』『十五夜お月さん』など多数の童謡作品を残しています。『赤い靴』の成立年代は、詩が雑誌「小学女生」1921年(大正10年)12月号に掲載された後、翌1922年(大正11年)8月に作曲が行われました。

このブログで「東京タワーの隣の駅で」という記事を書いた後、すぐ近くの方からトラックバックで情報をいただきました。あの近くで毎年8月に開かれる「麻布十番納涼まつり」を検索したところ、商店街の公式サイトが見つかり、パティオ十番に「赤い靴の女の子:きみちゃん」があるとのこと。いつかは「日本の歌」カテゴリで取り上げようかと思っていた曲だし、情報を得たこの機会に「麻布十番納涼まつり」が始まる日に合わせて書いてみることにしました。

どうして麻布十番商店街の構内かというと、歌のモデルとされる「きみちゃん」という女の子は、詩にあるように「埠頭から船に乗る」ことはなく、麻布にあった鳥居坂教会の孤児院で亡くなったからだそうです。作詞者・作曲者の両方が同じ年に没した後(2人とも1945年没)30年ほど過ぎてから「『赤い靴』の女の子は私の姉」という投書が新聞に届き、それをきっかけに北海道テレビが数年かけて追跡調査を行い、作詞者・野口雨情の交際範囲の中にあったエピソードを見つけ出しました。テレビのドキュメンタリー番組は1978年(昭和53年)に放映され、それ以来「きみちゃん」の話が広く知られるようになりました。

<『赤い靴』の女の子はいずこへ>
作詞者の野口雨情は、25歳ぐらいの時に北海道で新聞記者の仕事をしたことがあります。この頃に勤務先の同僚であった「鈴木志郎」という人物に出会い、妻のかよの話を聞きました。
岩崎かよ(最初の名前)は静岡県で前夫との間に「岩崎きみ」という娘をもうけ、後に鈴木志郎との再婚話が出たため、きみちゃんを連れて北海道へ移りました。鈴木夫妻は北海道の開墾地で働きましたが、そこでの生活は想像を絶するほど厳しく、かよは当時3歳のきみちゃんをアメリカ人宣教師チャールズ・ヒューエット夫妻の養女に出さなければなりませんでした。歌に出てくる「異人さん」とはヒューエット夫妻のことです。
開墾生活を断念した鈴木夫妻は、札幌で野口雨情と出会います。やむなく娘を手放した鈴木かよ(再婚後の名前)は、その後は「きみちゃんはきっとアメリカで暮らしている」と信じるしかありませんでした。
しかし、きみちゃんは間もなく結核を患います。きみちゃんが6歳になる頃、ヒューエット夫妻は事情で故国へ戻りましたが、結核患者の子供を船に乗せることはできず、きみちゃんを麻布永坂にあった「鳥居坂教会」の孤児院に預けました。きみちゃんは詩のように「埠頭から船に乗る」ことはなく、3年後に麻布の孤児院で亡くなったとのことです。1911年(明治44年)9月、わずか9歳の短い命でした。
(他の資料:野口雨情記念館d-scoreああ我が心の童謡

Red_Shoes_Waterfront  Red_Shoes_Model_2   Mystery_Model

野口雨情の詩では、女の子は異国で「青い目になったのかな」。そんなイメージに近い、白黒で撮影した幼い少女の写真を探してみました。

麻布十番商店街では、1989年2月に「赤い靴の女の子:きみちゃん像」をパティオ十番に建て、それ以来ずっと「きみちゃんのチャリティー」を続けているそうです。

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